学者とマスコミが人類を破滅に導く

◆◆「否定的」存在として始まった知識人

 知識人という言葉が使用されるようになったのは19世紀末からで、それはドレフュス事件に端を発しています。

 ユダヤ系のドレフュス大尉は、1894年、対独スパイ容疑で逮捕され、終身流刑を宣告されましたが、ドレフュスは無罪を主張します。
 1898年作家ゾラが「私は弾劾する」という見出しで大統領宛の公開状を発表し、軍の不正をついたことから、軍法裁判という正規の手続きに対して自分の社会的立場や能力を越えて発言するものが現れ、それが知識人だったのです。

 知識人であること、それは初めから社会にとって否定的な意味合いを帯びており、自分とは無関係な事象に対して口出しするものでした。
 それゆえ、知識人という言葉は、知識人の敵から名指されることによって流布するようになります。
 知識人という言葉は他称であり、社会の規則に対して異議申し立てをする者であるがゆえに、知識人は否定的な存在でした。

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> そして役割を奪われた弱者に、福祉と称して、ただ生きるために必要な物理的な援助をします。これは市場の拡大にもなります
 単に、効率が悪いからと役割を奪ってしまったこと、問題の原点はここにありそうです。<

この話を聞いてうなずくものがありました。

以前、私はとある地域の町づくり運動に関わっていたのですが、そこで、住民の方からなかなかうまく進まないと言う話を聞きました。何が障害となるのかを尋ねたところ、「福祉の制度がなあ……」と言う答えがありました。

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極めて個人的な感覚で恐縮ですが、私は、いわゆる教育者の発言に、一見もっともでありながら、ある種の「傲慢さ」と「曖昧さ」を感じることがままあります。この会議室の参加者の方々には少々反発を買う内容かもしれませんが、忌憚の無いご意見を頂ければ、と思います。

例えば、教育者と子どもの関係について、最近よく言われていることのひとつに、大人からの解答の押し付けはよくない、というのがあります。答えを大人が固定するのではなく、子供が疑問を持った動機を大切にし、子供の迷っている気持ちと同じになってその答えを考える過程が大切であるという意見です。

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