学者とマスコミが人類を破滅に導く

教育、研究、政治、行政、経済、医療、・・・。これまで当然のごとく専門家に委ねられてきた分野に、「不透明である」という不信の目(社会感情)が向けられています。従来なら成立した≪専門知識→正しい判断≫の命題が今、社会的信用を失っているのはなぜなのでしょうか。
 これは、≪専門家は実は何も判っていないんじゃないか?≫という疑いではないかと観じます。逆説的ですが、例え無類の知識をもってしても、「何が問題にされているのか」のピントが合わなければ、「判っていない」答えを平気で繰り出すことになるのは、当然といえば当然のことです。

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ここで、改めてルソーの「一般意思」をはじめ近代主義者の理想論が挫折せざるを得なかった理由について考えてみて欲しいと思います。また、日本の近代が手本にしてきた西洋の民主主義の現実をよく考えてみて欲しいと思います。

西洋社会は政治システムとしての民主主義制度は日本よりははるかに確立されているのかもわかりませんが、現実は近代以前から現代まで一貫して厳然たる階級社会のままですし、強者と弱者の対立を力の論理で制圧する社会であるという本質は何も変わっていません。つきつめて言えばこれは「他には頼るものはない。結局最後は頼るのは自分しかない。」という「自立した個人」の対立を大前提にした(前提にせざるを得ない)意識(世界観)の産物であり、これこそ個人主義思想の本質ではないかと考えています。さらに言えばこれは狩猟民族として闘争序列を厳格に共認してきた民族性と徹底的な(壊滅的に氏族共同体を破壊しつくしてきた)侵略・略奪闘争を繰り広げてきた民族の歴史の積み重ねによる、西洋人の精神の伝統的本質であるとも考えています。

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という言葉は個人主義思想の礎として、あまりにも有名な言葉である。

ところで、この「全てを疑った上で最後に残るのは”思惟する存在である自己”である」という到達点は、あまりにも過激である。その現実否定の過激なスタンスは、これが支配観念として人々の上に君臨している現状を思えば、その過激性=劇薬性という一点で驚嘆に値する。

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