学者とマスコミが人類を破滅に導く

私たちは実現論において、不全感を揚棄する為の期待・応合の充足回路を基礎として形成された課題共認や役割共認や規範共認あるいは評価共認etcの共認こそが、各個体の意識を統合すると同時に集団を統合していることを明らかにしました。

また、自我が規範や評価etcの共認に対する否定を源泉として始めて成立する共認機能の副産物であり、しかも否定に基づいているが故に共認(充足)を破壊し本源集団を破壊してゆく敵対物(共認の敵対物)であることも明らかにしました。

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科学者を目指す人は、長い徒弟修行を通じて、特定の専門分野における表現様式(言語や数学的手法)やルール(実験系の立て方やプレゼンの決まり事)をたたき込まれます。それが身について、既存の学界の権威者に承認されてはじめて学位が取得できるようになっています。

このように、一人前の科学者になるまでに、既存のパラダイムを無意識に思考の前提とする傾向が強くなると考えられます(そうならない人が、本当の一流の科学者なのでしょう)。

半専門家or専門家の方々が素人の意見を見下す傾向について、その原因を考えてみると、「科学者としての訓練と資格認定を受けていない者」つまり、「既存の科学者集団のパラダイムを共有していない者」は、えらそうに語るべきではない、要するに「生意気だ」ということなのでしょうか。

パラダイムさえ固定されていれば、研究の方向性は一定決まっているので、研究はそれにそってパズルを解いていく(例えば、筋力アップのためにメニューを組んで筋トレにひたすら打ち込む)ようなものなのではないかと思います。

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最近、「犯意無き過ち」(日本経済新聞社)という本を読みました。副題として「検証バブル」とあるように、1980年代の後半から1991年ごろまで、日本中を熱狂と陶酔に陥れたあの「バブル経済」に対する金融当事者たちの反省を綴ったものです。
(処理のほうも含めると1985年から1998年と時代スパンを扱っています)

 あのバブル経済に対する処方を誤った結果が、今日の手ひどいダメージを受けた日本経済です。この本の中で、日銀や政治家、大蔵省(現財務省)の人間達が、バブル(その後の不良債権問題も含めて)に対する適正な対処法をそれぞれ考えていたのにもかかわらず、結局、ほとんど骨抜きにされて処理されていった過程が当事者のコメントも兼ねて克明に描かれています。

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