学者とマスコミはグルで観念支配している

自我私権やそれを正当化した規範観念や価値観念は肉体的に(=自我回路や共認回路で)感応するのに、危機・課題は観念によってしか(超肉体的=超感応回路的にしか)認識できない。この感応回路と観念回路の認識位相の違いが、パラダイム転換を超困難にしている直接の理由である。

性権力支配や精神破壊に対しては、旧規範が危機を感応する。しかし、それは近代市場に裏打ちされた価値観念(恋愛・自由・個人etc)VS残存する旧社会の私権規範の闘いなので、危機を叫んでも敗北してゆくだけである。

●経済破局や環境破壊の危機は、数字や構造認識(つまりは観念)によってしか把握できない。もちろん観念で把握しても危機回路は作動するが、その前提をなすのが既成観念なので、結局、支配観念に絡め取られて突破できずに終るor専門家(統合階級)に委ねられて終う。

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経済破局にせよ、精神破壊にせよ、環境破壊にせよ、それらの危機は全て観念によって把握された危機であって、(現段階では未だ)本能を直撃する様な危機ではない。
同様に統合不全も、つきつめれば答えが見つからないという観念統合の不全である。また、社会統合を担うのも観念であり、生存圧力を脱した現代の社会統合とは、観念統合に他ならない。

つまり、生存圧力を脱した現代においては、危機意識も統合不全も社会統合も、全ては観念機能に委ねられており、全てのカギは観念内容が握っている。
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◆◆「否定的」存在として始まった知識人

 知識人という言葉が使用されるようになったのは19世紀末からで、それはドレフュス事件に端を発しています。

 ユダヤ系のドレフュス大尉は、1894年、対独スパイ容疑で逮捕され、終身流刑を宣告されましたが、ドレフュスは無罪を主張します。
 1898年作家ゾラが「私は弾劾する」という見出しで大統領宛の公開状を発表し、軍の不正をついたことから、軍法裁判という正規の手続きに対して自分の社会的立場や能力を越えて発言するものが現れ、それが知識人だったのです。

 知識人であること、それは初めから社会にとって否定的な意味合いを帯びており、自分とは無関係な事象に対して口出しするものでした。
 それゆえ、知識人という言葉は、知識人の敵から名指されることによって流布するようになります。
 知識人という言葉は他称であり、社会の規則に対して異議申し立てをする者であるがゆえに、知識人は否定的な存在でした。

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