学者とマスコミが人類を破滅に導く

という言葉は個人主義思想の礎として、あまりにも有名な言葉である。

ところで、この「全てを疑った上で最後に残るのは”思惟する存在である自己”である」という到達点は、あまりにも過激である。その現実否定の過激なスタンスは、これが支配観念として人々の上に君臨している現状を思えば、その過激性=劇薬性という一点で驚嘆に値する。

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近代個人主義は、権力支配の抑圧から大衆を解放する(そして大衆の欲望を導きの糸として、大衆消費社会を実現する)役割を果たしましたし、それによって「自由」で「豊かな」社会が実現されました。

しかし、私は個人主義はその歴史的役割を終えたと考えています。本質的には個人主義は権力支配の抑圧に対する反動でしかなかったからです。
よく考えてみて欲しいのですが、現代の日本の社会において「自由」や「人権」を抑圧するものがどれだけあるのでしょうか?国家も企業も学校も「自由」や「人権」という観念を持ち出されたら何も反論できず、びびってしまってご機嫌をとるしかありません。かつての権力支配の抑圧なんてものは誰もできる力はありませんし、今や力関係は圧倒的に集団よりも個人の方が上であるというのが事実です。「自由」や「人権」を振りかざせば、黙らざるを得ないというのは、逆の意味でファシズムであると言ってもいいくらいです。
とにかく、元々は抑圧にたいするアンチの思想でしかなかった個人主義思想が、それくらい強い社会の支配的な思想になってしまったというのが最近までの日本の思想状況でしょう。そして、抑圧の対象である、権力支配が力を失ってゆくと、今度は個人主義思想そのものも輝きを失ってどうでもよいものになって、今や無思想が時代のムードとなっています。


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>「権利」と「義務」を二本柱とする実定法のみを法にするのはおかしいじゃないかと私は思うんです。現代にも貫いている「法実証主義」は間違いなくどこか「病」んでいます。一般大衆としての私たちが共通して感じ、認識しているもっと根源的な「規範」「掟」に回帰すべき時が来ているんじゃないかと思うんです。


本来、規範意識→制度だと思うのですが、現実的にはそうはなってないですね。
むしろ、規範意識と法・制度は、反比例の関係にあるのが事実です。
これは何を表わすのでしょう。

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