学者とマスコミはグルで観念支配している

少年犯罪に関しての実名報道は、少年法・第61条に「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。」 とあり、禁止されています。少年犯罪に関する議論がおこなわれるとき、表現の自由と基本的人権をめぐる対立として、よく議題となります。

最近では、事情があり祖父母に育てられた19歳半の「少年」が、シンナーを吸い、自宅から持ち出した文化包丁で通学中の女子高校生、5歳の幼稚園児、更にその母親を刺し、園児を死亡させ、女子高校生と母親に重傷を負わて、殺人罪等に問われた、いわゆる「堺通り魔事件」と呼ばれる事件で、高山文彦氏が雑誌『新潮45』に、少年の生い立ちや家族関係、凶行におよぶまでの過程を実名でしるした件が注目を集めました。

高山氏は、以下のように述べます。

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>世間に名前が出ないのをいいことに未成年の犯罪が多発しています。犯罪を犯したものは何歳であっても名前を公表すべきだと思う。自分の犯した罪は全てを明らかにして償うべきです。

確かに、少年法の問題も根本的には匿名性の問題だと思います。真っ当な人間観を持つ人ならなんの迷いもなく上記のような結論に至るでしょう。この、至極当たり前のことが「プライバシー」とか「基本的人権」とかいう観念と対立するという理由で、弁護士をはじめとする知識人の間で論争のネタになっています。不可解な時代です。

いったい「プライバシー」とか「基本的人権」とは何でしょうか?犯罪を許してしまうほど大切なものなのでしょうか?これらの観念が本来意味するところは、「人を大切にする」ことだと思っています。たとえ一時的に犯罪者になろうとも、本当にその人を大切に思うなら、その人と関わりをもち、厳しい追及をしながらも、更生にむけての労を惜しまないでしょう。当然、無関心な匿名の傍観者ではいられません。

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■大学への社会的批判と反発

 大学へのあからさまな社会的批判と反発は、すでに大正から昭和にかけて活発であった。

 若者の多くは過大な期待を抱いて入学したのに、在学中の教育は彼らの期待を大きく裏切るほど低い内容のものが多かった。
 そればかりか、卒業後の就職選択あるいは就職先での処遇にも満足できないとなると、彼らの攻撃の矛先は必然的に大学と大学教授に向けられることになり、昭和初年には同盟休校などの騒動さえ各地に頻発したという。

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