学者とマスコミが人類を破滅に導く

理念、理想とは頭の中だけで「こうあるべき」という観念を結晶化させたものです。
 そしてこのようなものが登場したもう一つの理由は、社会を統合する上で何がしかの観念(人々にとって都合よく見える=プラスに見える観念)を必要としたことにあります。

 さて、では我々はどうすれば良いのでしょう。
 私はおそらく必要なものは状況判断、経験則、さらには社会や人間にたいする構造的認識、これらがあれば本来十分であろう。と思います。
 しかしそれらとは別に人間には親愛や心の交歓や仲間意識等々の体感的な情感が必要なことはいうまでもありません。愛や自由や権利などと言う頭の中の理念よりもそういった実態的感覚が弱い人間を支え励ましてくれると思います。問題はおそらく後者が喪われてしまったためにそれを頭の中で価値として再生させるために人間はそのような代償としての観念(宗教や理念など)を必要としたということでしょう。(だからその言葉はうそ臭いと言う感覚も皆持っています) にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ 続きを読む

近代思想の問題はその「絶対観念」性にある。それは極めて固定性の高い(硬直性の高い)「理念」だからである。
 言葉を変えれば理念とは「こうあるべき」という頭の中の理想をさす観念である。この観念の問題性は2点ほどあろう。

 一つは現実を見る場合「かく(例えば人間は自由な存在で)あるべきなのに現実はこうなっていない」と言う角度からしか現実を見られなくさせる点である。つまり固定的な価値観でしか現実を裁断できなくさせる点である。(自然科学上の諸認識との対比を試みられたい) 

 第二にそのような価値論は固定度が高まるにつれ、一切の批判を許さなくなる点にある。 とりわけ問題となるのは、他者からの批判はもとより自らの現実認識さえ捻じ曲げてしまう点にある。
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> 「哲学者は世界を様々に解釈してきた。問題はそれを変えることである。」

「個人の連帯と共生」を実現するためには、お互いが「人間の尊厳性」を尊重し、お互いの「自由」と「権利」を認めることが必要なわけですが、そのためには「人に迷惑をかけない限り何をしても自由」というエゴイズム(正確に言えばこれは自分主義(ミーイズム)と言った方が妥当かも知れません)は集団や社会の統合の観点から制御することが絶対条件となります。言うまでもなく、「自分」の「自由」や「権利」を主張することと「個人の連帯と共生」は必ず矛盾し対立するからです。

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