学者とマスコミはグルで頭脳支配

>観念捨象と云っても、潜在思念が何となく捨象しているだけで、明確に支配観念を否定した訳ではない。
>だからこそ、本源収束も、思考を支配or規制し続ける支配観念によって出口にフタをされ、実現できないまま潜在思念に留まっているのである。

それもある。自分の中で「何となく」で留まっているとやっぱりボンヤリして流されがちになるという状態。

でも、それより問題なのは、それでは決して広がらないって事じゃないんでしょうか。
広がらないってことは、周りは変わらない=可能性が育っていかないって事だから。

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現代意識潮流と実践的突破口〔図解〕
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全てのネックは、「答えを出せない」という一点にある。しかし、我々は既成観念を全的に否定した事によって(かつ思考を可能ならしめる現実基盤=共同体を形成し得た事によって)、奇跡的にその答え=実現構造論をほぼ構築する事が出来た。後は、その共認形成の為の運動論が残っているだけである。

基本的には、答えがないから不全(危機)を捨象し、思考を捨象しているのだから、基本的な答えを与えてもらえば、課題収束⇒思考収束する筈である。(従って、いずれ多くの人々の手で実現論を改良してゆく事も可能になる。)
しかし、大多数は支配観念を明確に全否定しておらず、その結果、観念回路の大部分が支配観念に染脳されて終っており、その観念が思考を支配して本源収束の出口にフタをしたり、異端視共認を形成したりしている。

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思考停止の原因と突破口〔図解〕
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人々は、’60年以前から豊かさ追求・解脱追求に埋没し、過半の人は「自分だけ」「お金だけ」という私権観念によって思想を捨象or忌避していた。とは云え、貧困と抑圧が残存する限り、一方で思想は輝きを放っていた。
その意味で’60年安保の敗北と’70全共闘運動の敗北は、人々に思想への失望を植え付け、無思想化への決定的な結節点となった。そして、’90年、社会主義の崩壊とバブルの崩壊は、思想(と構造観念)への不信を決定付け、思想忌避へのダメ押しとなった。

要するに、人々は現在まで一貫して私的充足(私権と解脱)を求め続け、過半の人が思想とは無縁な生活を送ってきた。
しかし、その私的充足も、私権観念の崩壊によって収束先を失い、今や個室に逃避する以外に充足の場が無くなって終った。それと共に自我も表に出せなくなり、匿名の闇空間(個室やネット)に最後の発現の場を求めるしかなくなって終った。

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