学者とマスコミが人類を破滅に導く

学生時代、研究室で実験系を組むときに、いかにすれば望み通り(仮説通り)の実験結果が得られるかに研究室のメンバー全員が(教授の指導を受けながら)知恵を絞って実験を繰り返している姿を見てきました。恣意的にほとんどのパラメーターを固定し、あるパラメーターのみを変動させる。極端に言うと、「自然」をたたいたりひっぱったりつねったりして望み通りの結果を吐き出させる、といった感じです。

プロの研究者もどうやら似たようなことをしているらしいことを知り、一学者が勝手に「定義」したものを信じるという事にすっかり逡巡するようになってしまいました。

また、現在「定説」といわれている説が、もしかして恣意的な大きな前提の上に成り立っているのではないかと、研究室を離れて外から見ると、あらためて思います。

だからと言って、認識を何も固定せずに議論は進められないのですが…

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ボードリヤールは『消費社会の神話と構造』の中で、GNPという数字で現すような国民経済の幻想性を指摘している。

 GNPは、財・サービスの生産の合計であるが、公害を生み出したり、人間に危険を及ぼしたりするような物の生産も全て含まれている。

 よく考えれば、現代の工業生産では、有用なものの生産の裏側には、有害なものの廃棄が必ず発生している。GNPはその有害なものの発生を隠蔽しながら、有用な生産のみを統計化し、生産活動の目標とする。

 この経済成長は、政治的テーマとなり、多くの権力の発生の基盤となる。この成長に対して、異議を唱える言説は隠蔽され、国民全体が、この成長によって幸福を得るような政治的幻想のストーリーに巻き込まれていく。

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近代社会は、自由・個人・権利etcの観念を中核とする近代思想に導かれて発展してきました。しかしその結果が財政破綻・環境破壊・精神破壊であるとすれば、その責任は極めて重大です。ところが、個人主義は、これらの結果に対して、全く何の責任も取っていません。それどころか、「それは個人主義のせいではない」とか、「本来の個人主義は違う」とか、厚顔無恥な言い逃れに終始しています。

もしそれが個人主義のせいではないというのなら、いったい個人主義(を中心とする近代思想)以外のどんな思想が、近代社会を導いてきたと云うのでしょうか?それとも、社会を導いてきた思想などなかったと、主張するのでしょうか?だとすれば、個人主義も社会を導くことのできなかった、現実とは無縁な空理空論に過ぎないという事を、認めたことに成ります。

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