学者とマスコミはグルで頭脳支配

>今どき、体制側だって「変わらなきゃ」と叫ぶ世。それでも、続ける大多数の「変わらない」人たち。

これは、何となく捨象・否定・変革期待しているだけでは、無意識の内に既に染脳された既成観念の支配を脱することができない、そうした状態ではないかと思います。

既成の構造認識や価値観念が既に力を失ってきていることは論を待たないと思いますが、「全的否定」について、いくつかの投稿を読むうち、あらためて気づかされたことは、

・体制側のいう「改革」は、それを言ったら受けるからというポーズにすぎないこと。経済問題ひとつとっても、景気回復か構造改革かなどといった議論に終始しているが、誰も本当のこと(既に全てが破綻しているという事実)を言わない。

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観念とは何なのか?
何となくわかったつもりでいるけれども、今一はっきりしない
どこか、現実の生活とは切り離された部分にある気がする

しかし、ここのところ、観念とは「世界を構造化し、理解すること(そして行動を導くこと)」だと思いました
もう少し、感覚的な表現をすれば「わかりたい、理解したいと言う想いの表れ」なんだと、今僕は考えています

実現論によれば、観念の起源は、「極限時代、直面する過酷な現実対象=自然を凝視し続けることで、感覚に写る自然の奥に、応望すべき相手として精霊を措定したことにある」とあります
「精霊という観念」を措定することにより、人類は自然を認識、対象化(=理解)することが可能となったのでしょう

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今まで、まず観念があり、その自分の内にある観念世界は絶対的なもの、それが自分という人間を成すものであるかのように思っていた。しかし、どうもそれは違う。

共認機能にしろ、観念機能にしろ、自分の内なる本能ではどうしようもなくなったとき、廻りの仲間や自然を対象化することで、可能性を見出した。

意識しようとしまいが、人間は本能や潜在思念により、外部世界を捉えている。それを鮮明に対象化することを可能にするのが観念。本能>潜在思念>観念の順であり、最初に観念があるのではない。

以前は、既成の観念でもうまくいっていたために、まず観念があるものと、当たり前のように考えてきた。しかし、それでは潜在思念で捉えた事実を対象化できるはずもなく、既成観念にとって都合の悪い現実を捨象するだけで、なんの現実基盤もない。

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