近代社会は、自由・個人・権利etcの観念を中核とする近代思想に導かれて発展してきました。しかしその結果が財政破綻・環境破壊・精神破壊であるとすれば、その責任は極めて重大です。ところが、個人主義は、これらの結果に対して、全く何の責任も取っていません。それどころか、「それは個人主義のせいではない」とか、「本来の個人主義は違う」とか、厚顔無恥な言い逃れに終始しています。

もしそれが個人主義のせいではないというのなら、いったい個人主義(を中心とする近代思想)以外のどんな思想が、近代社会を導いてきたと云うのでしょうか?それとも、社会を導いてきた思想などなかったと、主張するのでしょうか?だとすれば、個人主義も社会を導くことのできなかった、現実とは無縁な空理空論に過ぎないという事を、認めたことに成ります。

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あるいは、現実を作ってきたのは自分主義(or利己主義)であって、個人主義ではないと、主張したとしても同じことで、それはやはり個人主義が現実を導くことのできなかった空理空論に過ぎないことを、認めたことに成ります。いったい、個人主義が登場して既に200年以上も経つのに(しかも、現実は行き詰まり、危機的な様相を呈しているのに)、「まだ本来の個人主義は実現されていない」などという言い訳が、現在でも通用すると思っているのでしょうか?

むしろ、そんな言い訳しか出来ないという事実そのものが、個人主義が頭の中だけの幻想に過ぎないことを明瞭に物語っています。現実の行き詰まりや危機に対する責任を一切認めようとせず、言い逃れに終始する個人主義者たちのどこに「責任」意識があるのでしょうか?それは、まさに都合の悪い現実は捨象し、都合の良い頭の中だけの幻想=欺瞞観念をもって自己正当化を図ろうとする(そして何とか人々を欺こうとする)自我人間そのものの姿です。つまり、個人主義とは人々を欺く為の仮面に過ぎず、彼らの正体は自我の塊なのだということが、この間の議論を通じてほぼ明らかにされたのではないでしょうか。

四方勢至