私が問題にしているのは、社会を統合する上で決定的に重要な共認形成の場を占拠して、一方的に支配共認を撒き散らし、人々を染脳教育している学者や文化人やマスコミetc社会統合階級の存在です。

大衆によって構成される社会は、当然、大衆(=素人)によって担われるべきであり、中でも決定的に重要な統合(とりわけ共認形成)の仕事を、「社会統合のプロ」が担っているのは根本的におかしいのではないか、その社会統合という仕事を大衆=素人の手に取り戻そうというのが、私の主張です。

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それに対して、社会統合の素人も、社会統合という領域以外の仕事の世界では夫々にその道のプロであるという主張は、議論を混乱させるだけではないでしょうか?ここでは、社会統合“外”の仕事のプロを素人と呼んで、その素人の社会統合への参加の可能性を探求しているのですから。

また、プロ=統合階級は支配観念を売り物にしてメシを喰っているが故に(従って、支配観念から脱却できないが故に)、一切の新しい価値を創造する資格を失ったという私の主張に対する、「プロでも素人でも、いいものはいい」という趣旨の投稿ですが、'70年以降、プロが一体どんな「いい事」を云ったのでしょうか?
そんな「いいもの」があるぐらいなら、私は上記の様な主張はしません。どこにも見当たらないから、そう主張しているのです。

ですから、「いいもの」があるなら、是非それを提示してみて下さい。もし無ければ、あたかもそれが在るかの様に語られた「プロでも素人でも、いいものはいい」という主張は、詭弁だという事になります。

注:このシリーズでは、現代社会の危機を打開する道をプロが示し得たかどうかを問題にしています。


岡田淳三郎