本当の創造は、素人が担ってきた(言葉を作ったのも、火を使ったのも、弓矢や舟を作ったのも、栽培や飼育を始めたのも、銅や鉄を精錬したのも、また壁画を描いたり、工芸品を作ってきたのも素人である)。真に偉大な思想(統合観念)を創ったのも素人であって、専門の神官や学者が、真に新しい価値を作り出した例は極めて少ない。実現論も又、素人が創ったものである。
※確かに、全くの新しい思念を明確な言葉として創出できた素人は、ごくごく稀にしかいない。しかし、彼は一貫して素人の立場に立っている(からこそ、創出できたのであり、決して自分を天才などとは思っていない。注:偉い身分である学者に成った時点で、彼は素人ではなくなり、真の創造者の資格を失って終う)。

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また、彼の身辺には、彼の創出した言葉に極めて近い潜在思念に基づいて新しい行動をした先駆者(これも素人)、更に彼らの周りには、その様な潜在思念を孕んだ人々(当然素人)が、多数存在している。要するに、これら素人たちの潜在思念が可能性収束したその一つの実現態として、彼の創造物が生まれただけである。

換言すれば、彼は仲間=素人なのであり、仲間=素人が生み出した、有益なものだからこそ、人々が評価し、共認する訳である。従って、大多数の人々が、仲間(の内の誰か)が作り出した言葉を共認し、それに導かれて結集し、闘うことに、何の問題も在りはしない。
※ただ現代、支配観念を使ってしか物を考えることができない人々=インテリは、無視するしかない。既にプロに失望した人々は、ネットに収束しつつある。我々の対象は、潜在思念で物を考える人=観念で特に物を考えたことのない人である。

潜在思念で物を考える人(=支配観念に囚われない人)は、白紙の様に実現論を吸収してゆくだろう。
●そこまで脱却できていない人も、MLetcでの規範的な認識群によって、徐々に支配観念から脱却してゆくだろう。
●本源志向の理論派や社会派も、かなり強く支配観念に囚われている分だけ厄介だが、いずれは転換してゆくしかない。
☆会議室は、かなり強く支配観念に囚われた、厄介な社会派や理論派の為だけにあるのか?


岡田淳三郎