学者とマスコミが人類を破滅に導く

2012年08月

現在も個人主義者たちは、個人主義と自我(エゴ)の塊の様な自分主義とは違うんだという言い逃れの屁理屈を、繰り返しています。しかし、近代思想の中核を成す個人という観念の、更にその核心を成すのは他ならぬ自我という観念なのです。むしろ、個人という観念は、自我を肯定視し美化する為に作られた観念だと云っても良いでしょう。現に個人主義は、自我を肯定視しており、決して自我を否定していません。

ただ、'70年以降、あまりにも自分主義の弊害が大きくなってきたので、「他人の自由や権利を最大限に尊重するのが、本当の個人主義だ」という論調に変わってきました(そうでないと人々の共認が得られない)。しかし、そうなってもなお自我は肯定視されたままで、否定できないでいます。それも当然で、自我こそが個人主義の核心を成すものであり、もし自我を否定して他人の尊重を第一にすれば、個人主義は相手主義に大転換して終うからです。それほどに、自我(という観念)と個人(という観念)は、不可分なものとして形成されています。

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何よりも柔軟な思考と大胆な仮説の提起が求められる現在、その最も反動的な妨害者として立ちはだかるのが、他ならぬ個人主義者たちです。

かつて、自由・個人・権利etcの観念を中核とする近代思想は、輝きを放っていました。しかし、その近代思想も、'60年代を通じて急速に色褪せてゆき、貧困がほぼ消滅した'70年をもって生命力を絶たれ、輝きを失って終います。'70年以後(正確には'60年代から始まっていますが)、一気に思想的無関心が蔓延していったことは、周知の事実でしょう。

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人々は、これまで無数の常識(規範とか観念。現在もっとも支配的な観念は、自由とか個人とか人権だと云って良いでしょう)に則って家庭生活を営み、あるいは経済生活を営んできました。しかしその結果が、先進国における全面的な行き詰まり(世界バブル・財政破綻・環境破壊・精神破壊)であり、崩壊の危機であるとすれば、それらを導いてきた常識群の根幹部が(従って、大部分の常識が)根本的に間違っているからだと考えるしかありません。おそらく人類は今、全文明史を覆すほどの大転換期に入ったのではないでしょうか。

この場に参加されている多くの方々も、現代社会の行き詰まりと大転換の予感があるからこそ、現代の支配観念に根本的な疑問の目を向け、できる限り固定観念を捨てて、現実を直視し、事実の追求に向かおうとしているのだと思います。まして、全文明史を覆すほどの大転換期だとすれば、歴史を遡って原始人類やサル社会や生物原理にまで目を向ける必要も出てくると思われます。しかし、それらは大部分が未明の領域であり、その解明の為には、固定観念に囚われることなく事実を素直に認める柔軟な頭と、大胆な仮説の提起が何よりも大切になります。



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個人史を振り返っても、また最近の社会の流れをみても「個人の尊厳」や「個人が原点」という教育は、結果として「文句言うな、俺の自由だ」「人に迷惑さえかけなければ何をしてもいい」等の、価値観と言うにはあまりにもお粗末なものだけを植えつけたにすぎないのではないかと痛感します。
 
 実際、自由な個人の名のもとで、あらゆる規範や義務はどんどんないがしろにされていくばかり、その崩壊のスピードは目を覆わんばかりです。(そんな状態を作り出した中心は子供や若者達ばかりではなく、戦後教育のもとで育った大人も同様です)。
 それは「本来の個人主義ではない」「個人主義の未成熟」などと識者は盛んに弁明していますが、国家と教育者総力を挙げての教育の結果がこうなわけですから、むしろ現況は個人主義教育の必然と捉えなおすべきでしょう。

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 「実現論」序章に目を通した。その認識内容やものごとの捉え方の新規さも目を引いたが、特に目を引いたのが「社会統合組織の必要性」であった。

 とりわけ現在の「社会統合を担う、官僚やマスコミや学者はそもそもは単一の集団でしかない。従って最終的に自集団の利益に収斂する」という言葉は本質をついた至言であると思う。

 現在新聞紙上では官民や政官の癒着が問題となっている。しかし問題になっているのは政治家や官僚のモラルやそれに対する、法の制裁の観点のみである。
しかし私はこれ自体がゴマカシであると思う。そもそも官僚に巨大な許認可権や補助金の分配権が与えられ、かつそれが特権的な職業として固定化されていること自体に問題の本質があると思う。

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