学者とマスコミが人類を破滅に導く

2012年11月

私権時代3000年、私権という強制圧力下にあったわれわれは、否定意識の倒錯思考にすがるのもやむをえなかった。中世は身分秩序にがんじがらめ、市場が発達した近世以降は金の圧力でがんじがらめな状態であり、個体の生存という課題においては、社会の統合より、明日の自分のメシにどうやってありつくのかの方が優先課題でした。

同時に、個体の意識の在り様も、あがいても変わる可能性が感じられない「社会」に向けるより、変えることのできる「自己意識」に向けて、感応観念の内部意識を観念化した倒錯思考で内省的に納得・諦観するほうが、むしろ外圧に対し適応的であったともいえます。すなわち、私権時代とは、人は意識を外向きにしようとも、いかんともしがたい現実の圧力が働いており不可能であった時代、外に向けると首を取られる時代であった。

そのため、私権時代では大人になるほど「まるくなる」とよく言われるように、その「いかんともしがたい」私権の圧力に対して変革不可能であることの諦観の念が身に染み付き、外界の構造化に頭を使うことをいつしか完全にやめてしまう。もっぱら追求されるのは、自己の「心が動かされない」という言葉に代表されるよう、外界とは切り離された、自己完結の諦観の念の言語化作業ばかりとなってしまう(否定意識の倒錯思考)。加えて犯罪的なのは、外界の追求をやめるということが「物分りがよくなった」などというように、プラス価値化された規範にもなってしまっています。すなわち、私権社会では年をとるほどどんどん頭が固くなり、あほになる構造をもっているのです。

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 最近、るいネットに投稿している方から、「最近のるいネット、特に『新しい統合ネットワーク』の会議室は、投稿するのが難しい」という声をよく聞く。

 これまで、よく投稿していた方からも、同様の声を聞くところを見ると、単に問題が難しくなったという位相を越えた、ある種の変化が、議論に生まれつつあるのだと思う。

 その変化とは何かと言うことを考えると、この会議室のテーマの一つである、「パラダイム転換とは何か?」ということに深く関わっているのではないだろうか?

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225銘柄の株価が日本の経済指数のように報道されているが、果たしてそれが真っ当な評価軸といえるだろうか?

マスコミは株価で一喜一憂しているが、実体は
1.時代に即したという名目で、銘柄は何度も入れ替えられ、好業種を補充している。
2.20銘柄程度で全体の低迷基調をごまかせるためハイテク銘柄を中心に政府やその指示で動く金融機関が釣り上げている。
金融機関や多くの企業にとっても株価の下落は財務体質の悪化を招くので是が非でも買い支える。

危機感を薄めた結果、それらの動きをみて大衆が売りを控え、回復を待っている。
このような株価操作があってはじめて今の日経平均1万円が維持されているようだ。
赤字のハイテク株が業績通りに評価されれば現状でも日経平均は7000円程度にまで下がってしまうと言われている。

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>まず心情的否定があり、観念がそれを補強する

端的に問題点を指摘された言葉だと感じました。

評論家と呼ばれている人たちの言説などに触れると、この言葉がよく理解できます。随分長い文章を書いているのだけれども、結局のところその対象をもっともらしい理屈で否定しているに過ぎない、という印象を感じるものが多かったように思います。それであれば、それこそ端的に一言「気に食わない」と言ってもらえたほうが、こちらも長い文章を読む手間が省けて助かる、というものです。心情的否定に基づく観念が、いかに無駄なものかを知る一場面でもあります。

一方で、対象に正対して使われる本来の観念回路から生み出される言葉は、非常に素朴な形をとるように思います。
例えば、お年寄がふとした拍子につぶやく何気ない一言などはその例にあたらないでしょうか。ありふれた言葉なんだけれども、実に学ぶところの多い一言に出会うことがあるものです。

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>観念捨象と云っても、潜在思念が何となく捨象しているだけで、明確に支配観念を否定した訳ではない。
>だからこそ、本源収束も、思考を支配or規制し続ける支配観念によって出口にフタをされ、実現できないまま潜在思念に留まっているのである。

それもある。自分の中で「何となく」で留まっているとやっぱりボンヤリして流されがちになるという状態。

でも、それより問題なのは、それでは決して広がらないって事じゃないんでしょうか。
広がらないってことは、周りは変わらない=可能性が育っていかないって事だから。

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