学者とマスコミが人類を破滅に導く

2013年01月

この掲示板を見て、つくづく思うのだが、人間は、認識を共有する仲間がいて、初めてモノを考えられるのではないだろうか?

 おそらく、人々は(一人一人では)危機感も持っているし、社会の問題点に(うすうすながらでも)気づき始めている。
 しかし、その危機や問題の状況認識を共有する場がないとしたらどうだろうか?

 もし、状況を突破しようと思えば、突破する方法論を考えなければならない。解決方法を見つけるためには、少なくとも、状況の原因を考えなければならないが、このような危機・問題意識(≒不全)を一人で直視し続けるのは、とても耐え難い。

 モノを考え続けると言うことは、実は恐ろしくエネルギーを必要とする。その活力の源泉は常に与え続けられなければならないはずだが、そのような場もない。
 
続きを読む

>>仕事にかかわらず、好き嫌いは、自分を中心におくことで出てくる。真っ当な大人とは、他者の期待に応えられる=好き嫌いなど最初から眼中に無い人のことだと。<<
>では、好き嫌いという感覚自体が問題なのだろうか。<

 好き嫌いは感覚なのだろうか。
 「充足できた。」「充足できなかった。」という体験の記憶は事実として残る。そして、その体験が積み重なると価値判断としての好き嫌いという観念が形成されるのだと思う。

 過去において充足できなかったのは、事実だとしても、その原因が対象側にあったのか、自分のその時の状態にあったのか。見極めるのは難しい。「好き嫌いは、自分を中心におくことで出てくる」という黒田さんの見解は正しいと考える。

 感覚はその瞬間の体験だから、状況次第でいかようにも、変化するが、観念は過去の記憶に基づいているので、固定化しやすく、状況の変化に対応させるのは意外と難しい。好き嫌いという自分勝手な観念は出来るかぎり、排除していく必要があると思う。

続きを読む

>透明にすればするほど、様々な方面から知恵が集まり、その時点での最良の判断ができるようになる。結局は、いかなる局面でも、より良い判断がなされていけばよいだけ。

このことは透明性を高める事の大きなメリットであり、現時点において意識転換が必要な部分であると思います。
このことで問題は共有された課題となり、決して一個人や一企業に押し付ける「責任」なるものにはならないでしょう。

情報が公開され、透明性が高まれば、課題の重要性は末端の一個人にまで伝わります。その重要性を認識する事は今でいう責任の重さを認識するという事になると思いますが、それは一人で抱え込むものではなく、たとえ問題が発生しても周りに開示し最良の判断を模索するという方向に流れていくでしょう。
この流れは、不透明な中で生じる責任問題とはまったく異質なものであるはずです。

続きを読む

>…「何を,百姓が、WTOだのなんだのと言うのか」「では、自分の経営や普段の生活では、どうなんだ」というジレンマが、当然起きますが、実は、両方が出来て上手く行くのですね。

なるほどと思いました。ちょっと事情は違いますが、先月でしたか、日経新聞に「私の履歴書」というコラムがあり、そこでクロネコヤマトの宅急便を始めたヤマト運輸の前社長が書いていたことを思い出しました。

引退後、福祉畑で活躍されているようですが、彼から見ると、従来の福祉分野の方たちはあまりにも経営が下手ということになるようです。福祉の高邁な理念は持っていても、実践する場面での稚拙さ。例えば、障害者の就業訓練でやっている作業のしくみについてはほとんど場当たり的であまり考えていない。金儲けがどうのということではなく、社会から期待される、或いは評価されるような仕事として組み立てることができそうな、可能性の芽があるのに、殆どそれを見落としている、或いはそんな観点で頭を使っていない。

続きを読む

私権不全は、親和充足と代償観念で、かなり解消できる。
>社会不全は答え(=新しい認識)によってしか解消されない。

現代のなんとも言えない重苦しさを「社会不全」という言葉は、上手く伝えていると思う。

これに対して政治家やマスコミはこの重苦しい社会状況を、単なる不景気のせいにしようとしているように思える。「社会不全」と言うレベルではなく、「私権不全」というレベルで捉えているのである。

今、私たちが直面している社会不全と言う状況は、環境破壊・教育崩壊・財政破綻・政治腐敗・官僚腐敗などなど、従来の社会制度全般が不全に陥っているという問題であり、不景気などは部分的な問題である。

経済の問題をいうのであれば、日本の景気などというちっぽけな問題ではなく、消費市場の拡大限界から、余剰資本が投機資本として世界経済を荒らしまわると言う、資本主義市場経済の末期症状という大問題を抱えている。

続きを読む

このページのトップヘ