学者とマスコミはグルで観念支配している

2013年01月

しかし、社会不全は、解脱や誤魔化しの言葉で捨象する事はできない。
●自然圧力や同類闘争圧力etcによる本能不全は、スキンシップの親和充足でそこそこ解脱(解消)できる。
●権力による抑圧etcによる私権不全=共認不全は、親和充足(その極が涙と笑いである)と代償観念(規範観念や価値観念etcの感応観念)で、かなり解脱(解消)できる。
●社会不全や統合不全は観念不全であり、答え(=構造観念)によってしか、解脱(解消)できない。
注:私権不全=共認不全からの解脱は、貧困苦の時代は涙と笑いだったが、貧困の消滅した’70年代以降は笑いだけに収束した。
注:人間関係の軋轢は共認不全だが、そこから逃避した関係閉塞は統合不全なので、もはや笑いでは解脱(解消)できない。
注:統合不全の関係閉塞型は不全に強く囚われており、答え欠乏が強いが、答えがない(従って課題捨象もできない)という悪循環に陥る。

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>私は、「個性は大事」とずっと言われてきたにも関わらず「人間皆平等、男女同権、性別では区別してはいけない」と言われ続けてきました。しかし、先日「男女は最大の個性」という言葉を聞き、まさしくそうだと思ったんです。(Msg:24750大江さん)

「自由」「平等」「個人」など近代思想が作り出した概念は、いたるところで矛盾と欺瞞を生み出していると思います。そして、一見価値観を排除したかのような学術分野にも大きな影響を及ぼしています。

進化論上では、性に関わる様々な問題に、コストや損得というような経済学的なアプローチをする学者が殆どです。市場原理という近代固有の尺度を生物史に当てはめて解釈しようという訳です。
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人権の定義は、教科書を参考にすると以下のようになっています。
日本書籍の「中学社会・公民的分野」では、「新しい人権」と題して、こんな文章を掲げています。
「人権の内容は、人々の要求と努力が強まるにつれて、また時代や社会の進歩につれて豊かになるものになる。幸福を求め、人間らしい生活を守ろうとする人々の諸要求をもとにして、新しい権利の主張が次々に生まれている」

このような「人権」を最初から「善きもの」「絶対的不可侵のもの」と決め込んでいます。私はだいたいこれが極めて問題だと感じています。それは絶対不可侵のものと決めてしまえば、それに逆らうこともうそれ自体で差別主義者としてレッテルを貼られるからです。だからマスコミが象徴しているように人権に対しては何一つ逆らうことはできません。
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90年代には「自分探し」が流行りましたが、今は流行らないようです。

70年から私権統合が衰弱して収束先を失いました。ここで人々は「何をすればよいのか」を見失いました。「何をすればよいのかわからない」これが本来の問題だったのですが、その答えがないものだから、「自分とは何なのか?」という問題にスリ変えられたのが「自分探し」だと思います。スリ変えられた原因は、私権観念で統合された社会の不全が今ほど明らかではなく、「自分だけ」という私権観念が衰弱しつつも残存していたからだと思います。

しかし、自分の内に向かって探しに行っても答えが見つかるはずもありません。「何をすればよいのか」(その答えは自分の外の世界にある)が、本来の問題だったのに、それを「自分探し」にスリ変えるとよけいに答えは見つからなくなるだけです。もっと言えば、私権統合が衰弱して収束先を失ったことが元々の原因ですから、私権観念を温存したままでは答えが見つかるはずもなかったのです。私権観念に変わる新しい認識パラダイム、これが本来必要だった答えなのでしょう。

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>「素人こそが社会統合の主役」、「素人の外向欠乏→社会収束が新しい社会の可能性を切り拓いて行く」、そのような時代がはじまったと理解します。<(24802;村田さん)

この間の四方さんを初め皆さんの一連の投稿で、『万人による社会統合』とは新しい認識パラダイムを獲得した人々の共認ネットワークであり、共認ネットワークとは構造認識の高度化をめぐる評価空間であることが明らかにされました。

そして当然と言えば当然ですが、おもしろいことに『外向収束』をいきいきと実践しているのはすべて素人であり、村田さんが指摘しておられる官僚や学者は‘認識を専業とする集団’として、相変わらず集団のもつ閉鎖性の枠内に留まっているという構図も鮮明になっています。

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