学者とマスコミが人類を破滅に導く

2013年03月

仕事柄、市町村の行政職員と話す機会がありますが、最近感じるのは、彼ら自身今後の行政運営について、行き詰まりを強く感じていると言うことです。
現実から遠い国家公務員と違って、日々市民と接する彼らにとっては切実な問題でしょうし、特にこの傾向は政策立案を担当する企画関係部局で顕著だと思います。

一般的に、市町村の中心施策は「総合計画」としてまとめられており、多くの場合が専門のコンサルティング会社と学識経験者への委託によって立案されています。
この総合計画、数百ページにわたって「豊かな社会」「明るい未来」と幻想観念が書き連ねてありますが、読むのは行政関係者だけであり、ほとんどの市民はその存在さえ知らないと思います。
(そういう意味では、この様な現実社会にはほとんど役に立たない代物をつくるコンサルティング会社も、学識経験者同様の無責任な傍観者と言えるでしょう。)

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> 下部意識・潜在思念では本源収束したいのに、上部意識・倒錯観念では私権的であることが良しとされ、その矛盾から逃れる術(認識)が無い。

「全ての成員が集団の認識形成、意思決定に関わり、一方で各人に与えられた役割(役割共認)があるといった形」(32829長谷さん)は、始原人類にとっては、言葉にする必要もないほど当然のことでした。

この「自分たちの生きる場を自分たちで創る」というごく当り前のことが、史上一貫して人々の下部意識・潜在思念にあり続けた、本源収束というものの核心部分なのではないかと思います。

32250で西谷さんが指摘された「自由」「権利」という観念が世に広く支持されたのも、自我私権の現実には半分(自分のことは)目を瞑りながら、この本源の下部意識に訴える、という自己欺瞞のカラクリを持っていたからです。

私権パラダイム下で生み出されたこれらの言葉自体、三宅さんの言う「別の論理体系に属する2つの矛盾した命令」を暗に含んでいます。だから、「自由」「権利」の自己矛盾をめぐる議論は絶えること無く、人々の観念世界に一つの巨大なダブルバインド状態をつくりだしていると言えるでしょう。

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この間、何段階かに渡って“認識パラダイムの逆転”が提起されてきた。その度に、場の活力が上昇し、皆さんの投稿に勢いやパワーが出てきたのを実感します。そして私の中にもパワーが注入されていくのを感じます。

・現実捨象の倒錯観念から、観念捨象の現実直視へ(20199
・現実とは、人々の意識である(20355
・解脱仲間から認識仲間への逆転(25433
 そして最近の
・もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない(32569
・認識形成は遊びではない、生産活動である(32570

 これら認識パラダイムの逆転は、『既成観念の全的否定(18719)』に、「何となく捨象しているだけでは、無意識の内に既に染脳された既成観念に支配され続けることになる。従って、既成観念から脱却する為には、明確に否定し切ることが、決定的に重要になる。」とあるように、明確なる“決別”度合いにかかっている。

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グレゴリー・ベイトソンという学者がいました。生物学をルーツとしながらも、文化人類学、情報科学など、様々な学問領域に関わった人です。
彼が、精神分裂病の社会構造的発生原因について為した研究成果は、発表後30年余りを経たにもかかわらず、未だに色褪せるところが無いそうで、曰く、患者が幼少期に置かれた「ダブル・バインド状態」が、その原因となっているケースが多い、との事です。

「ダブル・バインド状態」とは、以下の三つの条件が揃った状態を指します。

1.ある命令が出される
2.別の論理階形において、その命令と正反対の、矛盾した命令が出される
3.その状況から逃げられない

「想像して見たまえ。自分が抱きしめられるのか、殴られるのか分からないまま、母親の手が真っ直ぐ自分に向かって伸びてくる状態を。君が幼児なら、どんな気分になるだろうか?」

このサイトの語彙では、「統合不全を強いられる状態」とでも言えるのかも知れません。幼少期に、このような状態に置かれつづけた場合、人は精神分裂病になる確率が高くなるそうです。臨床的には、患者に、矛盾した2つの命令が、別の論理階形に属す事を冷静に認識させ、統合不全から脱する事を促すそうです。


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統合階級=傍観者と言う認識は、まさに社会のパラダイム転換の象徴の様に思えます。

これまでの私権社会では、その価値が武力(力)から資本(お金)に変遷しても、統合者である支配階級は当事者であり続けました。それはその時代の中心価値が所有可能な「私権」であるが故に、彼らの私権獲得という闘争課題は現実そのものだったからでしょう。

翻って現在の価値はまさに認識そのものとなりました。
認識とは、現実を生きるための価値(答え)です。
そして、それは誰も所有することのできない価値であり、もっと言えば皆が共有してこそ価値が出るものと言えます。

統合階級は、「所有できる価値」→「共有に意味のある価値」へとパラダイムが転換すると、その統合階級という身分を捨てない限り新しい現実に関わることが出来なくなって仕舞います。だから、新たな同類闘争へ参加することも出来ないで、只の傍観者に成り下がってしまったのです。

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