学者とマスコミが人類を破滅に導く

2013年04月

盆休みということもあり私も久しぶりにテレビを見ました。
ワイドショーや娯楽番組のくだらなさは言うまでもありませんが、まだマシかなと思っていたNHKですら見ているだけで疲労感が出て来ます。1日中テレビをつけ夕方にもなってくると、なんともいえない疲労感や虚脱感が残り自分の思考がどんどん停止していく感覚と今日一日無駄に過ごした思いに恐ろしさを感じました。

マスコミが語る言動にことごとく違和感を覚えたのは皆さんと全く同じですが、何より恐ろしさを感じたのは北村さん(37953)や土山さん(37960)が指摘していた共認支配という点です。
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>権力者の不正を許さない(または密室性を廃し透明にせよという)人々の監視圧力の高まりを是と感じる一方で、それで何か好転したのか、益々閉塞感は強まっているではないかという根本的な疑問も生じます。 

マスコミは日々、国家や市場(企業)を叩くけど、彼らはすでに力を失っていると思います。
実際、政治家になりたいっていう人もお金持ちになりたいっていう人も少なくなったし、身分やお金が人々の共認によって力を持つものだとしたら、そこには、「他に代わるものがないので(参考:32086)」というだけの引力しかありません。

でも、マスコミ人気はまだ根強いと思います。
ただ、以前のように「お芝居に命かけてます」とか「歌に思い入れがあります」とか、そういうある1つのものに嵌るのはむしろ流行らなくって、とにかくその社会的な評価上の地位というか結果というか、そういうのに価値があるような感じで、「何でも楽しくやります」とか「特にこだわりはありません」とかいうのが増えている気がします。続きを読む

マスコミの存在基盤は、なによりも大衆の代償充足に応えること。そして彼らは社会をどうするかといった課題については傍観者を決め込み、政治家や企業を攻撃することで、大衆の憂さ晴らしを代弁しています。

しかし、今や多くの人がマスコミに対して違和感を抱いているのではないでしょうか。
もちろん、今や第一権力となった当のマスコミ自身を攻撃することは決してありません。それに、「この情報は確かだろうか」とか「情報操作しているのでは」という疑念は誰しも持つと思います。
しかしそれ以上にマスコミが流す旧観念、さらには彼らの存在そのものが、もはや我々の実感(不全感)と大きくズレてしまっていることが違和感の原因ではないでしょうか。これだけ政府や企業の問題指摘をしながら、一向にそれらの問題が解決する気配は感じられず、むしろ悪化しているように思います。
今我々が求めているのは社会不全を突破する答えなのに、相変わらず欺瞞観念や代償充足の情報を垂れ流して大衆の共認を支配し、社会を閉塞させています。
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確かに山澤さんの仰るように、マスコミは政治家、官僚、大企業の不正を次々と暴き立て、まるで国会や検察や裁判所以上に裁定権を持っているが如く機能しています。ゴシップネタから刑事事件に至るまで、ネタは何であれマスコミが攻撃すれば、議員辞職から企業倒産にまで追い込まれるという異常な現象が年々強まっています。権力者の不正を許さない(または密室性を廃し透明にせよという)人々の監視圧力の高まりを是と感じる一方で、それで何か好転したのか、益々閉塞感は強まっているではないかという根本的な疑問も生じます。

 問題はいわゆる権力者の不正などではなく、るいネットの巻頭言に「この社会は、人々の共認によって成り立っている。ところが、これまでは一握りの知識階級が、この共認を支配してきた。つまり、専ら学者や芸術家やマスコミなど専門家だけが様々な認識を作り出し、人々は、彼らが撒き散らす認識を受け入れるしかなかった。しかし、彼らの観念は、殆んど現実の役に立たない。現に、社会が全面的な行き詰まりを見せているのに、未だに彼らは何の答えも出せないでいる。」とあるように、マスコミや学者たちの独占的な共認支配、しかも共認内容が現実から逃避して頭の中だけで代償充足する代償観念でしかないことにこそ、全ての問題の元凶があります。続きを読む

しかし、それらだけではマスコミが現在のような正統性を得るには至らない。正当性を得るためにはもう一つの条件が必要であった。それが支配(統合)共認の形成機関としての役割である。市場拡大によって人々は私権に侵され、バラバラの個人に解体された。しかし個に解体されたとしても、共認の必要は絶対的であり、とりわけ社会秩序の形成上、統合共認とその為の統合観念は絶対的に必要とされた。

マスコミのもう一つの流れは、明治初期に相次いで設立された東京日日新聞(現在の毎日新聞)郵便報知新聞(現在の報知新聞)朝日新聞等に始まる政論紙としての系譜である。それが明治20年代に入ると文明開化=市場拡大ともに広告の掲載や連載小説の掲載に力を入れ始め、大衆化路線を歩みだす。そして、快美刺激と芸能に相乗りする形で、同時に当時盛り上がりつつあった「自由民権運動の拡大キャンペーン」に取り組む。近代思想の拡販である。そして、その後大正デモクラシーを経て、大戦を挟み戦後近代思想が支配的になるにつれ、彼らは社会共認形成の中核機関となっていく。そして、その結果彼らの立場は「公正中立・不偏不党」に収斂していく。
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