学者とマスコミが人類を破滅に導く

2013年04月

新聞社の公式のHPにQ&Aのページがあり、「どんな人が記者に向いていますか?」の問いに新聞協会は次のように答えている。(子供向けだけにストレートに答えている)
>記者には「やじ馬根性」が欠かせない。やじ馬は人の知らないことを見たり、聞いたりして第三者に伝え、「へぇー」とか「すごーい」という反応に接して満足する。
記者は出来事や話題ものを取材して、紙面を通して一般の人に情報を伝達する。したがって、やじ馬根性、つまり好奇心がおう盛であることが求められる。もちろん、責任感と正義感を備えたやじ馬(??)であることが必要。(以上リンク

一瞬唖然とした。しかしよく考えれば確かにそうなのだろう。今でこそ社会の公器を名乗る彼らだが、歴史を遡れば新聞あるいはマスメディアの起源は瓦版に遡る。それ以来今にいたるまで、一貫して記事やニュースの中軸にあるのは「対立と異常事件」である。(つまり火事と喧嘩である)
もちろんこれが中軸にくるのは、最も人の耳目を集めやすいからであろう。つまり面白おかしい、おしゃべりのネタとして、それらが最適であるからだ。続きを読む

社会不全の元凶がマスコミのごまかしにあるという指摘に同感です。ごまかすのは可能性が見えないにもかかわらず共認支配の権力にしがみついているからでしょう。

では、現実の可能性はどこにあるのでしょうか? 言うまでもなく現実の私達自身の中にしかありません。
それでは、私達とは一体何なのか? 

私達は長い間、ここを見誤ってきたのだと思います。
自分自身を美化し、正当化する観念で塗り固めてしまって真っ直ぐに見ようとしなかった部分です。だから何も産み出せなかった。

学者やマスコミとちがって、実現論(実現論9_3_03)が私達自身の構造を切開したのは「現実の可能性を探索するなら、現実の私達自身を根底まで対象化するしかない」という立脚点の違いによるものだと思います。

美化や正当化観念を廃してみれば、私達は生物であり、集団として存在し、先端に観念機能をもつ共認動物です。この事実から組み立てれば、社会不全でさえ状況に適応する為の前向きなテーマであることがわかります。そして、このサイトでは、社会不全はすでに社会統合課題として意識されるようになってきています。
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>つまり社会不全の元凶は、「官僚や企業のごまかし」以上に「マスコミのごまかし」にあるのです。 (山澤さん)

噂話や中傷や批判・・・人々の代償充足の最たるものが「おしゃべり」であって、そういう人々の意識(現実逃避の代償充足)の先端に位置するのがマスコミなのだと思います。私権社会(組織)の統合機能であった官僚や企業に対して、既成の価値観念を弄して正義・正論(自己の正当性)をぶち上げるところなど、自我充足を得るための酒の席での愚痴や、井戸端会議の噂話となんら変わりません。

こんな実体でありながら、社会認識(いわゆる世論)の先導役を自認してはばからないところが、マスコミのいかがわしさであり、社会不全の元凶たる所以でしょう。
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外務官僚との戦いの急先鋒だった田中真紀子の辞職は、新聞の号外まで出て、格好のおしゃべり=スキャンダルネタを提供したようです。社会統合は皆によって半専任組織として営まれなければ、官僚組織の存続自体が自己目的化し、そのため不正や隠ぺい工作が常套化するという構造認識を理解していると、なにをそんなにさわぐんだ、という気もするのですが、、。そうした新しい認識がなければ、人々は蓄積された「社会不全」を解消させるとりあえずそのはけ口=代償充足として「真紀子も同じ穴のムジナだったのか」てなおしゃべりに向かうのかもしれません。

しかし、よくよく考えてみると、田中真紀子に限らず、鈴木宗雄をたたいて、その急先鋒だった辻元をたたく。脱ダムをほめておいて田中康夫を叩く。と、マスコミの混迷ぶりは、節操がありませんね。彼らマスコミとしては「不正はよくない」というわかりやすい論理を武器にしているのでしょうが、ではどうしたら不正が防げるのか、そもそも何故官僚や政治家は腐敗するのか、の構造を解明できずして、「批判するだけ」というのはかなり特権的な行為です。こんなことが可能なのは70年貧困が消滅してから、有閑階級たちの共認により企業=資本も国家も第1権力の座からひきずりおろされ、彼女ら有閑階級に迎合したマスコミが第1権力の座についた結果だといえますが、この横暴ぶりは貧困の時代の「企業や国家」の権力性を凌ぐ犯罪性を持っていると思います。続きを読む

>つまり、欺瞞だって思われることが新しい認識によって駆逐されると健康が回復してくる感じがするし、自分だけの信念が皆に共認してもらえると健康な部分が確認できます。認識形成には皆が心の健康診断をして直しあっているような部分もありますよね。(37283佐藤さん)

なるほど社会不全とは、こういうものなのかも知れません。

現在は旧い私権観念がまだあって、それが多くの人々の本源回路の顕在化を鈍らせているような状況だと思うのですが、旧観念しか知らない多くの人々は各々が欠乏として抱えているその本源回路を認識できないでいる。私権と本源は相反するものだから、私権観念の地平にいるままでは、その本源に向う意識さえも真っ当に評価されないし、受け入れられない。だからといって、私権観念が絶対だとは今や誰も思っていない。続きを読む

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