学者とマスコミが人類を破滅に導く

2013年07月

私は現在、文学部の中に設置されている社会福祉学科に在籍しています。今年度から4年生になりますが、正直言って社会福祉に対する大きな懐疑の念を今まで 抱いてきました。講義を受ければ受ける程、この「近現代の西洋からの輸入概念」が胡散くさい欺瞞のかたまりに思えてきて仕方がありませんでした。しかし私 は常日頃はその重要な問題に背を向け、もっぱら大学祭サークルでの活動の方に熱中してきました。
 
 でもここで、少し考えてみたいと思います。続きを読む

先日交流会に出席して、気づかされたことがあります。

旧観念にどっぷりハマった人というのは、もはやかなり少数派なのではないかということです。

新聞やテレビを見ていると、相変わらず実効性のない意見が多数を占めていて、暗澹たる気持ちにさせられたりすることも多いのですが、こうした人々が最後まであがき続けている場所が、既存のメディアなのかもしれません。続きを読む

福祉主義は、市場主義や個人主義の矛盾に対する代償観念です。市場主義や個人主義の根本は、私権第一で己以外は全て敵ですから、必然的に私権闘争の勝者と敗者を生み出し、貧富の格差や身分格差を生み出します。ところが、社会的な敗者となった「弱者」を放置しておいたのでは、社会的不満や不全が増大しますから、市場主義や個人主義を維持してゆくためには、何らかの観念や制度でその矛盾を補う必要があります。続きを読む

一度学校制度から離れ、孤立した状況になってしまった私は、集団にいられる事のありがたさを実感する事となりました。
 そして小学校、中学校で、愛や自由、個人といった旧観念を教えられた部分に不必要と思う事もありますが、仲間と一緒に経験し、喜びを共有する事の楽しさを学べたのも学校だと思いました。クラスやクラブの皆と、行事や課題に取り組める場を与えてくれ、一体感を味わう事ができたという意味で貴重な場所であるという事は否定できません。そう思うようになれたのは高校を中退してからです。

 
 
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「10代しゃべり場」を久しぶりに見ました。

18歳の女性が「もやもやはどうすればいいのか」のようなテーマで話していたように記憶しています。その中で彼女がもやもやを説明するために「ストレス」と「もやもや」を比較していた。
彼女なりに考えたのが以下のような説明でした。
「ストレス」は外圧が加わって肉体や精神が痛むもの、つまり原因が比較的明確。
「もやもや」は明確な原因がわからないが自分の中に溜まった何かが耐え切れなくなる違和感。ストレスと違って原因がわからない分対処のしようがない。溜まった結果、切れたり自殺の衝動に駆られたりする。


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