学者とマスコミが人類を破滅に導く

2013年07月

先日交流会に参加して気が付きました。「何故~?」で始まる追求テーマが出ても、参加者から出てくるのは「今の社会では…、」とか、「最近よくあるのは…、」という現在の身の回りの事象。そこまではいいとしても、次に必ず出てくるのが、その身の回りの事象に対する安易な解決策。「社会も企業も、最小単位を考えれば家庭だから、家庭をまずは良くしないと。」とか、すぐに手身近な答えに収束して、自分を納得させようとしている、それで不安を解消しようとしている、自らがすぐに思考停止しようとしている、そんな感じを受けました。これは、掘り下げて考えること自体ができない頭になってる、ということ?!

>「根本原因を探る」とは旧観念という思考限界を突破すること(51739 阿部さん)

 実現不可能から実現可能な時代になったこと、思考方法の転換が必要なこと、それを伝えなくては!と思いました。そして、交流会という場で追求を重ねることで、これまで自分で限界をつくってきた思考の枠も、取っ払うことができそうな気がしました。そもそも、旧観念の構造がどんなに頭を怠慢にさせているか一つ一つ押さえていく必要があるな、と実感しました。
 
 山崎許子



 過労自殺、フリーターの急増、援助交際、切れる子供たち、学級崩壊・・・いずれもが社会の問題、学校教育の問題、家庭の問題という切り口で論じられています。しかしそのどれもが答えを示すことができずにいるのが実情で、個々の問題として考えている以上答えなど出ないのだ、ということも皆うすうす感づいているのだと思います。

政治家や官僚、学校の先生や親たちは、それぞれが直面している問題の関係者(当事者?)として悩み、考え、原因と答えを探っています。しかしなぜそうなるのかの直接原因(リストラ圧力→過労自殺、不況就職難→フリーターなど)まではたどれても、さらに奥の原因構造に向かおうとしたとたんに、複雑な問題・・という思考限界か、本質はすべて家庭教育の問題・・というすり替え思考に陥ってしまいます。

現実課題にむかって答えを求めているのなら、まず「答えを出せない」という現実そのものを対象化し「答えを出せないのはなぜか」という問いに向き合う必要があると思います。

どの問題現象も人々の意識、判断、行動の結果生じているのであって、問題の核心は「観念」そのものにあることは明らかです。すなわち問題の根本原因が人々の旧観念構造にあり、その原因追求過程に思考停止をもたらしているのも旧観念である。という思考の閉塞構造に気づくことが必要だと思います。

旧観念にとらわれている限り、現実を対象化することはできず、根本原因も見えてこない。本当の当事者として問題に向き合うのならば、旧観念という思考限界を突破することが何よりも必要であると感じています。

阿部和雄  

先日、深夜にNHKで放映されていた「しゃべり場」を観たときのことです。たしか、千原兄弟の弟だったかな・・・。かつては一世風靡していた漫才師だったんですが、そのときは意見役として場に参加していました。

そこで彼が発言していた内容は全て「自分」発であり、夢や目標を達成させるには他人の意見や行動に影響されてはいけない。
全て「自分」で完結しなければいけない。
「みんなのため」とか「みんなで」ということを言ってる奴は自立していない証拠であり甘っちょろい奴。

という意見で括ろうとしてしており、周りの若者の発言が暗く内向きになっていくのがわかりました。

私はとさかにきて、
おもわずTVに向かってこう叫んでしまいました。
「本当にそう思っているのだったら、若者にその意見を押し付けるな!結局お前も、みんなの中でしか(他人の反応でしか)「自己完結・自己実現」とやらのお前が思う崇高な内容を確認できへんねやんけ!他人にその意見を言ってる時点でおまえの言ってることは矛盾してるし、はっきりいって詐欺行為や!ならおまえは絶対他人とかかわり持つことなく漫才せえよ!」

この馬鹿たれな漫才師に限らず、まだこういった大人たちがわんさかいることは大体想像はつきます。そういった人たちが、若者の意識を分裂させている元凶なんだと皆に気付いてもらうことが大事だと思いました。
 
匿名希望 

先日、高校時代の親友たちと集まったときのこと。
意図せずにいつのまにか話は社会問題へと発展していました。

そこで、友人の一人がこう言いました。
「テレビを見ても、どこか遠い感じがする。ニュースで地元が映っても、その時は実感がわくけど、すぐに消えてしまう」

もう一人もこう続けました。
「戦争のニュースとか聞くと、私は自衛官の友人がいるからなんか少しはリアリティーを感じるけど、普通の人は違うんだろうなって思う」

そこから、「リアリティーのない社会の話」に花が咲いたのですが、私はふと思いました。一体、いつから「社会の話」=「テレビニュースの話題」になってしまったんだろう、と。

私たちは、「社会的なこと」(まじめな話)と言えばすぐに「ニュースの話題」を出してしまいます。でも、実はそれが「一番の問題」なのではないのでしょうか。それは、「見るだけでなすすべのない世界、それが社会」と思い込んでいる(思い込まされている)ことの証拠のように思うのです。

>この社会は、人々の共認によって成り立っている。ところが、これまでは一握りの知識階級が、この共認を支配してきた。つまり、専ら学者や芸術家やマスコミなど専門家だけが様々な認識を作り出し、人々は、彼らが撒き散らす認識を受信するしかなかった。(トップページ)

あらためて、傍観者の構造を恐ろしく思います。
テレビが面白くない理由も、社会が遠く感じる理由も、結局同じ。
傍観構造で、当事者になるすべが見つからないから。


>私権全盛時代を経てきた人達にとっては私権に代わる言葉が「自分探し」なのかもしれませんが、バブル崩壊後に成人した我々の世代にとっては、もはや死語となっているように感じます。(51212堀さん)

100万人の引きこもりや不登校がいるという。
彼らへのTVインタビューを思い出した。

 
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