学者とマスコミが人類を破滅に導く

2013年08月

>この共認支配の構図は、ヒステリックなまでに被害者意識に凝り固まった一部の人たちや団体の声が、マスコミや学校教育を通じて、あたかも万人の主張のように摩り替えられ、行政もひたすらそれに迎合するばかりで、彼らの主張がいつの間にか法制化され、万人に強制されていく様を物語っています。

まさに共認支配の構図は学校教育において徹底されている。社会科に於ける、公民分野は基本的人権の尊重一色である。そのよって来る根拠を「天賦人権」などと説明の付かないことで説明されており、あたかも「人権」はお題目のように唱えられて居る。

さらに問題は、年端も行かない、多感な判断力貧弱な時期に人権教育がなされるところにある。終生人権漬けになり、何も考えず権利主張だけが旺盛になるという構造ではなかろうか。

公民教育をどのようにしていくのか。旧来の考えに囚われずに普通の人の視点で、根本から考えていく必要を感じた。

匿名希望
 

では何故私権時代は、身分秩序が体制の背骨になったのだろうか?
私権社会は哺乳類のメスの獲得⇒縄張りの獲得というオスの性闘争本能を土台とした、いい女⇒いい生活⇒金・身分の獲得を巡る私権闘争のエネルギーを最大の活力源にしている。
しかし性闘争本能は同類を敵とする本能なので、大多数の雄が死ぬ事によってバランスしている。しかし単体動物のモグラはともかく、集団型哺乳類はそれでは集団を形成できない。だから一般哺乳類は無限の性闘争を制御するため、強い雄に弱い雄が従う(若しくは敗退のサインを出せばそれ以上は攻撃しない)力の序列ヒエラルキーが形成され、この序列ヒエラルキーが集団統合の背骨になっている。(序列本能)
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>初期のものは反権力であったのに対し第2のものは権力そのものであると言える。 

私権の強制圧力に抗する形の初期の民主化運動(→人権運動)。支配権力(統合階級)に歯向かっていった人権運動は、大衆から生まれた反権力運動のように思われますが、実体はイギリスの市民革命を見ても分かるように、反権力運動を起こしたのは大衆(みんな)ではなく、市場に縄張りを作り始めた「市民」という特殊(特権)階級です。最大の人権である『自由』とは、突き詰めれば自由市場で自由に私権闘争を行ないたいという権利です。その闘争は、決して大衆(みんな)共認発の闘争ではなかったと思います。みんなが巻き込まれていった闘争、という方が的確ではないでしょうか。否応もなく人々を従わせる絶対的な力=権力を巡る闘争、それが人権運動の持つ本質なのではないでしょうか。
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> 【大多数の健全な(=普通の)人たち】⇔【被害者意識から要求を続ける一部の人たち】⇔【旧観念でメシを喰っているマスコミ・教育関係者】⇔【私権制度に基く立法権などを今でも行使する政治家・官僚たち】


上記の構図、非常に明快だと思いました。

【被害者意識から要求を続ける一部の人たち】といえば、いわゆる、「職業的市民活動家」(およびその周辺の人たち)が想起されます。
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 マナーの氾濫(=マナーファシズム)を考えていくと、多くの方が指摘しているように、共認支配の問題に行き着きます。

ヒステリックなまでに被害者意識に凝り固まった一部の人たちや団体の声が、マスコミや学校教育を通じて、あたかも万人の主張のように摩り替えられ、行政もひたすらそれに迎合するばかりで、彼らの主張がいつの間にか法制化され、万人に強制されていく様を物語っています。
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