学者とマスコミが人類を破滅に導く

2013年09月

> 保守回帰に流れるブナンな世間に風穴を開けられるか、ここがなんでやの試金石といっていいのではないだろうか。
 
 振り返ると、この10年、20年、「改革」や「変革」という言葉ほど、色褪せてしまった言葉はない。
 統合階級は、決まって「改革」、「変革」という言葉を口にするようになった。逆に、野党などは、改革の言葉に対して「生活を守れ」「権利を守れ」「憲法を守れ」「平和を守れ」と、守りの姿勢が目立つようになり、革新派の立場を放棄してしまった観がある。与野党のスローガンの逆転である。(おそらく、このことが、野党第一党であった社民党没落の原因だと思われる。自ら成立基盤を突き崩してしまったのだ。)

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現統合階級が、年金制度の抜本的改革と主張しても、全く期待できないしピンとこないのは、彼らが実はその答えをもっていない(王様は、裸だ)からだと思います。
統合階級から提示されるのは、年金制度をどう維持するか、という安直な発想から出る小手先の解決策(保険料の増額、給付額の削減、支給開始年令の繰り延べ等)ばかりです。
あるいは、年金制度の背後にある市場機能を、いかにして維持できるか、という論点にすり替え、景気が回復すればなんとかなる、という甘い期待を抱かせる、欺瞞に満ちた方便ばかりです。
彼らが思い切って過去の制度設計の非を素直に認め、年金制度を即刻解散すれば解決するのか、というと、そう単純でもない。
現在、市場で運用されている年金資産をすべて現金化し、年金受給資格者一人当たりの支給額を確定し、公平に配分して解散、という方法では、その運用規模からして、国債・株式・為替市場が機能停止してしまいます。

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65160 若者の不安に不可能視から可能視への転換の基盤を見る
65189 社会不全の表情?
65298 「アリエヘン!」を連発して始まる期待>

無表情についての一連の投稿を読んで、どうやら若者の無表情には「親の囲い込みからくる親和欠損」と「充足埋没では済ませられない社会不全の高まり」の二面が絡んでいるのだと理解できてきました。

親和欠損と社会不全、この一見真逆にある位相の不全が、どちらも”無表情→何を考えているか解らない”という現象に顕れているわけですが、どうもその無表情の表現も違うらしい。
親和欠損は>“あたりさわりない存在”(65224)>という”愛想笑い”とでも呼ぶ迎合した硬直の表情、一方、社会不全は>その表情は、原因である不全自体が漠然としているが故に非常に捉え所の無い感じがする。>(65189)という”不思議な表情”らしい。
ではこの二面は、何か関係性があるのだろうか?

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最近、偶然にも高校生たちの日常の両極に接する機会がありました。その片方は、言うまでもなく『なんでや勉強店』や『なんでや露店』の光景で、「何でだろう?」の『答え』に目をキラキラさせて頷き、「なぜ親と話が合わないのか今日初めてわかった」と言って満足げに帰っていく姿ですが、もう片方は、机に突っ伏して、教師の話を聞いているのかいないのかも判然としないような、いかにも疲れきった姿が無残に広がる授業風景です。

 後者のような様子を目にしたのは、10日ほど前、ある有名私立高校のお招きで‘社会人講師’として話をしてきたときのことです。行く前から講義形式よりは車座に座ってやりとりする方が面白いのはわかっていたのですが、学校側の意識からすると私はあくまで‘講師’であり、そのための教室と時間と生徒数(35名程度)が割り当てられていました。

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>学校の勉強で”答え”といえば、その先は何も無い(それで終わりの)もののようにイメージされます。
交流会でも「答えは一つである必要があるのか?」という質問が良く出ます。おそらくそのような疑問をもたれる方は、多分従来の「思想」や価値観念をイメージしておられるのではないか?と思います。この捉え方事態が人々の共認によって形成される社会の実現の阻害物となるものです。いわゆる「答えなど存在しない」だから「価値観は人それぞれ」等。(実はこれ自体が「個人主義思想」の変種なのですが・・)

思想や価値観念はこの統合板でも何人もの方が指摘されているように、私権の強制圧力や序列統合に対する変革不可能視(実現不可能視)に基づいて作られたものです。醜い私権の現実を否定して、人間のあるべき姿や目標を観念化したものです。もしくは単に現実の都合の良い部分を一面的に美化したものです。つまり頭の中をプラスで充足させるためにのみ存在するものです。

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