学者とマスコミが人類を破滅に導く

2013年11月

 現代であればもう既に、近代思想が無用の長物である事は、「言われてみればそうかも」という次元を超えて、「これはおかしいかも、これでは上手くいかない」と気付く程に明確になってきたのではないかと思います。現に、仲間第一の若者の中では、自分を主張する事や、彼氏・彼女に固執すること(仲間よりも恋愛を大事にすること)は、白い目圧力で封鎖されてしまいます。
 では何故そんな観念が作られてきたのでしょうか。そこにはきっと必然性=社会的な欠乏や共認があったはず。先日出たなんで屋劇場で、その解答を得ることができました!!

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>しかし、なぜ学者やマスコミや官僚は、生命力を失い形骸となったそれらの観念にしがみついているのでしょうか?それは彼らが、それらの観念を売り物にして現代の神官としての特権的な身分を手に入れた特権階級だからに他なりません。あるいは、本来万人が担うべき社会の統合という課題に自分たちだけが高給をもらいながら関われる身分という意味で、特権的統合階級と呼んでも良いでしょう。(『現代の神官=社会統合階級の欺瞞』968

貧困が消滅した’70年以降、序列原理から共認原理へ社会統合原理は大転換したにもかかわらず、社会を統合する特権階級=身分制度が残存していること自体に根本的な矛盾を感じる。力や資本を背景にした支配・被支配という関係が、職業的分業を背景にした発信階級・受信階級という新たな身分(=職業的プロ)支配に姿を変えただけで、真の共認原理とは程遠い。

しかも、人々の不全に答えを出してくれているならまだしも、益々閉塞状況が進行して行っているのだから、何の答えも出せない彼ら無駄飯食いたちの罪は極めて重い。特権的身分というのは、そこに安住し堕落する(身分を守ることが第一になり社会のことは二の次になる68994)のが常のようだ。特権に守られた私権序列上位の集団が、私権時代の旧観念を駆使して、共認原理に従う社会を統合しているという奇妙なねじれが、益々社会を閉塞させていっているように思う。

人々も受信するだけ、評価するだけではなく、特権的身分を許している職業的分業=プロの壁を突破する段階に来たのではないだろうか。もはや彼らに何の可能性も感じない、期待できないという諦めの一方で、専門家=プロには敵わないというプロ信仰意識もあり、共認運動にとって最大の壁になっているように思う。

社会が変わるとき、旧社会の統合階級が癌になるのはいつの時代でもそうであって、同時に新たな可能性に収束することによってしか次代が切り拓かれないのも普遍的な事実である。役に立ちたい⇒みんなの期待に応えて答えを供給したいという欠乏の高まりは、新たな活力源を形成し、プロの壁を突破する原動力になっていくと思う。

岡本誠

>元来、私権闘争の仲裁者として登場し、従って私権を否定することなど一度もなく、今や世界人権宣言に至るまでに架空観念(実態は私権の正当化)を絶対化させた法律家たちは、現代の神官(参考968)にまで登り詰めたと言えるでしょう<(59273

「利権」という言葉がありますが、通常この言葉は「権力」を持つ人たちが社会で特権的に享受することができる「旨み」の意味で使われていると思います。そして“現代の神官”たる法曹界に生きる人々も、当然権力をかざして利権・旨みを享受している。以下、その具体事例です。

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私権時代の全ての既成観念(古代宗教と近代思想)は、この異常な現実否定意識に基づいて作られている。(20354)

古代宗教や近代思想は、初めから現実を変革するつもりなどない。
というのも、「現実を否定する」ことが大前提としてあるから。
そして現実否定によって、意識と現実は分断される。
分断された意識が向かう先は、感応思考(幻想思考や倒錯思考etc)。

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 先日の露店で出会ったお客さんは、専門学校に通って環境系の勉強をしている女の子でした。「環境問題を、何とかしたい!!」という思いは確かにあるんだけれど、「どうも授業の勉強に身が入らず、ヤル気が出ない・・・。最近、学校にも行っていない。こんな自分でいいのかなぁ、と不安にもなるし、やっぱり“何か実践的な運動”をするべきなのかなぁ・・・。でも、何となく今は“実践よりもまず、勉強がしたい”って思うし、にも関わらず学校の勉強は行き詰っちゃってるし・・・。こんな私はどうしたらいいんですか?」と悩んでいました。

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