学者とマスコミが人類を破滅に導く

2013年11月

国民は(抜け道としての)市場に私権獲得の可能性を見出していくが、そのままだと序列原理(身分制度)に阻まれて限界がくる。そこで拡大限界を広げるために、(政治の世界から)その拡大限界を広げることに着手する。その拡大限界を広げるために利用されたのが(制度としての)民主主義であった。(よく言われることだが、本当に国民全員が「政治の主体」であれば、政治家などくじ引きで決めても構わないはず。)

>事実、市場は社会生活を営む上で不可欠の社会基盤(道路や港湾や上・下水道etc)さえ、決して自らの手で構築しようとはしなかった。それどころか、自ら(=市場の拡大)が作り出した貧困(⇒福祉)や戦争さえ、その遂行と尻拭いの全てを国家に押し付てきた。そして自力で拡大することが出来なくなった今では、自分自身の拡大さえも国家(国債)に押し付け、国家(地方を含む)は700兆もの借金で首が廻らなくなって終った。(31251)<

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 >自己嫌悪までいかなくても、意識の深いところにある「自分はダメだ」という潜在的な意識も、同じ構造を持つ。そもそも現実に対して不可能視があるから、「ダメであろう自分」を「理想の自分」が絶えず攻撃し続ける構造を持つ。そうなると、「現実の場面でどうするか」などに意識は向かわず、如何に「理想の自分」を守るか、に意識が向かう。結局、周りの人間は「どうでもよく」、「自分の事しか考えていない」ことになってしまう。(81144 内藤さん)

 自己嫌悪と対極にあるのが、自己賛美(ナルシズム)です。後者が「自分のことしか考えない」「自分のことしか愛せない」結果だと言われれば、誰もがすぐさま納得するでしょうが、自己嫌悪も出所が同じという指摘に対しては、改めて考えさせられました

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改めて、社会の共認形成の場を寡占して答えの出せないマスコミは、『人の役に立ちたい、供給者になりたい』という、人々の社会に対する、素直な期待に応える資格を完全に失ってしまっており、社会閉塞の真犯人であること=庶民の敵であること=共認運動の敵であること、が、はっきりイメージでき、『彼らに代わって、自分達で答えを発信していかなければ!』という闘争心=実現の意思がふつふつと沸いてきました。

今回の劇場で新しく気づいたのは『70年以降、第一権力化したマスコミがその権力の基盤としていたのは、それまでの私権時代の権力者が基盤としていた氏族集団や家族集団ではなく、社会の共認形成の場そのもの(テレビの全国媒体網など)であり、彼らは貧困圧力の消滅→序列原理が無効となったらこそ、共認社会における『新身分』を手中にできた』というところ。
(●マスコミが一方通行(統合階級の染脳機関)という形であれ、バラバラに分解された解脱個体を収束させた全く新しい社会的な共認形成の場(正しくは共認支配の場)を作り上げた事は、注目すべきである。
6324 素人の社会活動11 マスコミの共認支配 ))
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>つまり潜在思念の奥底=心底ではもはや脱私権に向かっているにも関わらず、序列原理の崩壊を頭では「性の自由、私権や解脱欠乏を充足させる可能性が開かれた」と捉えてしまった。つまり心底ではもはや脱私権なのに、観念は性と解脱と私権により強く収束していた。心底から遊離してしまった観念は必然的に表層的、刹那的なものになるしかない。

私はバブルを実際に経験してはいませんが、経験して投機や出世競争やお受験熱にまい進した経験を持っている方々は、'70年の貧困の消滅が大転換点であり、そこで私権原理から共認原理へ転換したんだ、と言われても、いや実際違ったし・・・って違和感があるんだと思います。それが、この『大いなる誤解』という視点でスッキリできました。

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先日「彼氏・彼女って何?」について考えました。そこで展開された、「見通しが立たないから課題捨象」と言う認識は、当たり前のようでいて、非常に新鮮な気づきでした。
考えてみれば、人間は見通しが立たなくなったとき、とれる行動は3つしかありません。

1、課題(現実)に向き合って、答えを探すこと→見通しを立てる
2、思考停止して、既存の制度や規範に収束すること
3、課題から逃げること=課題捨象すること

これは、現代の意識潮流に面白いようにあてはまります。

現代は、生物史を根底から覆すような大転換→これまでの規範や制度、観念は全く役に立たない→収束不全
収束不全とは、全面的に見通しが立たない状況と言えます。

既存の制度・規範への秩序収束も、観念忌避や社会忌避の課題捨象も、見通しが立たないからこそ、起こっている。
(本当は、ここで1番目=答えを探すに向かうのが真っ当だが、既存の観念が役に立たないゆえに、超難課題→課題捨象となってしまう)

政治家・マスコミ・学者・・・統合者の中でも、全く見通しが立っていない現在の収束不全。どれだけ学識や政治的発言力を持っていても、見通しをもたない者の言葉など、全く心に響かないし、可能性を感じるはずがありません。

そんな中で、るいネット・なんでや露店・なんでや劇場・るいブログとどんどん戦略を立て、見通しをリアルにして行くるいネットワーク。

なんでやの露店主をはじめ、るいネットワークに関わる人々の活力が、日進月歩で上昇して来ているように感じますが、その活力は、みんな期待に応えていると言うこと以上に、「共認充足の場が広がっていく」(言葉を変えていえば、収束不全旧観念に勝っていける)と言う見通しがリアルに感じられると言うことにあるように感じます。

西谷文宏

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