学者とマスコミが人類を破滅に導く

2014年10月

>にも拘らず、私権の衰弱によって社会的な身分序列の頂点に君臨することになった大学の体制化とそれによる肯定派の増大によって、徒らに対象の細分化が進行し、ますます基本構造の見直しが捨象されて、誤った「基本認識」を生き永らえさせる事になった。18718

この部分を、直近のなんでや劇場で展開された新認識である【国家私権】と【偽ニッチ構造】で考えると、スッキリしました!

'70年に貧困が消滅して、まず国家私権が崩壊していきます。確かに'70年以前の学者は、国家プロジェクトにかかわるような研究をしていたり、研究によって国家を繁栄させたい!という意識を持っていた。しかし貧困が消滅すると、国家のためになるかはどうでもよく、自分のしたい研究をしたい!そのために予算を取るというような学者が増えたんだそうです。
国家、企業(ここでは大学)、家庭が三位一体の国家私権が崩れて、企業(大学)私権へ移行したことが大学の体制化を整えたのではないでしょうか。

一方、普通の大衆は私権の衰弱から無思想無関心に陥り、潜在思念の実践模索へ向かっていきます。「大学は就職するまでのモラトリアム期間」「遊ぶために大学に行く」というのは、まさにその表れかもしれません。そうして既成の誤った構造認識が生き永らえるわけですが、、なんら答えを出せない構造認識に大衆はうんざりしていくわけです。
しかし、統合階級たちは、否定と自我に囚われているがゆえにますます既成の構造認識から脱却できず、誤った構造観念を垂れ流し、狭い学会世界etcの統合階級世界で権威化されていきます。そしてついに構造認識は特権階級の商売道具(飯の種)に成り下がってしまった。

ですので貧困が消滅して以降の大学の権威化もまた、大衆が無関心であるがゆえに成立する、偽ニッチ構造だったのではないでしょうか。
 



谷光美紀

内閣府や省庁のなかで大臣と官僚のいずれが力を握っているのか。

イギリスの大臣と官僚の関係は、1980年代のサッチャー政権が出現する前と後では大きく違う。サッチャー以前の官僚、とりわけ1950年代、60年代の頃の官僚は、非常に大きな力をもっていた。当時、大臣には秘密がなく、大臣の電話は秘書に聞かれていた。しかも、官僚は大臣に対する忠誠心はなく、忠誠心をもっているのは、同僚の官僚機構に対してだけである。そのため、大臣に関連する情報は、すぐに官僚集団に伝わった。さらに、官僚は、大臣に対して、選択の幅が非常にせまい助言しか提供しない。実質的には官僚が大臣を操作していた。

「官僚は、自分たちが国を動かしていると本当に信じ、大臣を自分たちに合う型にはめこんできたという点に注意しなければならない」。これがサッチャー政権の最初の認識であり、官僚機構の改革に取り組んでいった。とりかかりは、官僚の人事への介入であった。それまでの大臣たちは、官僚の人事は官僚に任せてきた。が、サッチャー首相は、人事院を内閣府の中にとりこみ、自身が人事の承認権を発動した。伝統的なエリート官僚ではなく、経営感覚をもった官僚、すなわち政府の政策を効果的・効率的に実施できる官僚に変えようとしたのだ。官僚の任用は確実に政治的に行なわれるようになっていった。

次のメジャー政権では、官僚の幹部ポストの人事は、公開の競争で行なうようになった。順次、部長、局長、次官に昇進していくというのではなく、それぞれのポストに空きが出ると、その該当者を公募で選定するようにしたのである。また、民間人の特別アドバイザーが省庁の職員になるということも、一般に見られるようになった。

こうした官僚人事の「政治化」のなかで、大臣が官僚の助言を受けて意思決定をするという伝統的な関係は次第に姿を消すようになった。大臣は政策決定に関しては、総じて官僚の助言を聞くということはあまりなくなった。それよりも各省庁の閣僚をはじめとする大臣・副大臣たちが特別アドバイザーの意見を聞いて議論をし、自分たちで意思決定するということが多くなった。1990年代には、官僚は、決定された事柄を整理し実行する存在に、言い換えれば、意思決定という政治の分野から外され、政策を実施するという行政の分野に限定されるようになった。

ブレア政権下では、閣僚は2人の特別アドバイザーを任命することができるようになっている。このため各省の総計で約80人のアドバイザーがおり、これらは純粋の政治任用であり、政権が変われば任期が終了する。任命者の考え方にマッチした人々がアドバイザーになるわけである。


参考図書:竹下譲「イギリスの政治行政システム~サッチャー、メジャー、ブレア政権の行財政改革」




阿部佳容子

アダム・スミスは、「国富論」として、経済社会の理論を構築しようとした。
重商主義と重農主義の論争では、勿論、富の増進は労働による生産の増進であるとの立場に立っている。(これは、マルクスに繋がる労働価値学説である。)

アダム・スミスをもって、市場経済学が成立したとするのは、重商主義か重農主義かではなく、「経済学(エコノミー)」を哲学・倫理学から、欲望(私益追求)肯定の「市場原理学」に転換させた点である。

ギリシャ古典の常識では、エコノミー(経済)は、国家経営の学であり、政治学・政治倫理学そのものである。その伝統を受け継いだ「キリスト教」でも、エコノミーは教理・倫理の下に規範化されている。(だから、貸付金利が禁止されている。)

アダム・スミスは、市場拡大(国富拡大)の時代を観察し、市場拡大・生産拡大、資本家・企業主、地主・農園主の生産拡大の原動力が、至って私益(欲望)に基づいていることを発見する。決して、社会倫理(例えば社会に必要かどうかの考察)に基づいていないことを見て取る。

「企業家・農園主の行動を決めるのは、儲かるか損するかだけである。そして、儲かるか損するかは市場が決めている。」と見て取った。そして、この企業家・農園主の欲望解放が、国家全体の生産を増大させている。

国富論の骨子は、だから。

1.個々の経済主体は、己の欲望(私益)によって行動する。
2.欲望行動は、市場における需給関係がもたらす損益を見て行動する。
3.上記メカニズムにより、国民経済は秩序化され、国富は拡大する。

個別経済主体の欲望を全面的に肯定した上で、市場(需給関係)により、その欲望行動が変化・転換し、結果として国富が増大するとの理論を打ち出した。

アダム・スミスにとって、国富増大が関心事項であった。一方で、その国富増大を担う経済主体は、国富ではなく私益にしか関心がない。

この両者をつなぐ「概念」が、市場という「神の見えざる手」の規定である。「神の見えざる手」によって、私益が国富に転化するとの理論宣言を行ったのである。

キリスト教世界なので、「神の摂理」「神の真意」が絶対である。その軸上では、「私益」は否定的なものである。だから、「神の見えざる手」と表現し、キリスト教教理から経済学を切り離したのである。
「見えざる手」は、誰もその存在被疑を追及できないのである。



レオンロザ 

>普遍構造として、圧力が衰弱すると(自我の発現可能性が広がるので)自我が肥大する。しかし、私権の衰弱⇒充足基調の共認圧力は上昇しているはず。なんで自我を封鎖できないのか?
>⇒私権制度が残っているからではないか。
私権や一対家庭は絶対不可侵」を前提に現在の法制度は作られている。その上、私権を抑制する力である私権圧力はとことん衰弱している。常にスキあらば私益をと狙っている自我私権派にとって、私権制度はそのままで圧力だけ低下したこの状況は至る所スキだらけであり、私権派は好きなだけ私権を手にいれることができる。これが、この十年の小泉一派をはじめとする私権・反動派の暴走の構造である。極めて危険な構造だが、私権絶対の法制度が変わらない限り、暴走は続く。
以上、リンクより。

仲間非充足⇒否定の自我収束⇒それを正当化するため(共認原理に対立する)力の原理に立脚した少数派私権・反動勢力は、己を正当化する観念で観念武装する。
この正当化観念は旧観念私権観念(自由・平等・権利・個人etc...)そのものであるが、現在は私権制度が残存している為、(旧観念の欺瞞性を暴く新観念群を持たない限り)これらの正当化観念・私権観念に対して、反論することは極めて困難である。

ex.ホリエモンは「お金で買えないものはない」、村上世彰は「お金を稼ぐのは悪いことですか!?」とマスコミを通してのたまったが、当時これに論理的に反論できた識者も素人も全くいなかった。

それゆえに、どれだけ共認収束・充足基調の大潮流が顕在化しても、制度が私権制度である限り、人々の共認圧力で、反動勢力(自我肥大)を封鎖することは不可能である。
一方で、社会の共認収束・充足基調の大潮流が顕在化すればするほど、反動勢力の「仲間非充足」は更に強まり、益々否定の自我収束→自我肥大が進む。そうなれば、暴走する社会が悪化するのは自明の理である。
共認収束・充足基調の大潮流は、次代=共認社会の可能性を開く、確かな可能性であるが、一方でその潮流が私権反動勢力をのさばらせ、社会を暴走→更なる閉塞へと陥れていくと言う、なんとも皮肉な状況となっている。

この状況を突破し、共認収束・充足基調の可能性を開いていく為にも、人々の意識と根本的にずれた(私権)制度の転換が急がれる。
採取次代、現在と同じように生存圧力が低下したが、私権制度など存在しなかった為、集団の共認(規範)圧力で自我肥大は完全に封鎖されてきた。
私権制度から共認原理に基づいた制度へと転換すれば、自我の完全封鎖は可能である。

その為には、旧観念私権観念を全的に否定する新観念を広げていくことが必要不可欠であり、そういう意味でも「新理論収束」の萌芽を探っていくことが今後益々重要になると感じた。



西谷文宏

潮流1から9まで勉強して、共認という原理を知り、私の中で大きな変化がありました。その変化の中で気づいたことがいくつかあります。

 1つ目は、人が感じる自身の生に対する価値(自分の生きている意味って何だろう?)は、周りの人との関係の中にあるということです。私はこれまで、自分の生きている意味を自分の中に求めてきましたが、見つからず終いで、人間は皆等しく生きている意味は無く、自分の生に意義付けし、それを生きる価値と見なして生きているのだと考えていました。あるいは、私は自分の生の意義付けに失敗したのかもしれません。それは当然のことで、生の価値を感じ得る時は充足状態にある時で、自分の周りの人との関係抜きには充足されることもないからです。したがって、本来生の価値は自分の内に求めるものではなく、むしろ自分の外に構築するものだったのだと気づきました。

 2つ目は、自分が共認不全であり、収束不全の状態にあったことに気づいたことです。私はこれまで、漠然とした不安感や孤独感を感じていて、この原因は一体何なのかという疑問を常に抱えていました。そうした中、日本における自殺率の高さに興味を持ち、大学のゼミの卒論で自殺の社会学的・統計学的考察しようと思ったのは、必然だったのかもしれません。個人主義化により解体された人と人との「つながり」は疑心暗鬼に陥って、加速度的に共認不全のデスパイラルをつくり、人を孤立化させていく。まさに自分が感じる孤独感の原因はこれであると気づき、当時の私は思想を右傾化させていきました。しかし、個人主義から序列原理の全体主義に移行させたとしても根本原因は解決されないと思います。つまり、孤独感を感じる根本的原因は個人主義化ではなく、それによる共認不全状態なのだと今は考えています。
また、私は末期思想であって(大学のゼミも教授の書いた「終末の予感」という本に読んで受講を決めた)、漠然と世界が崩壊に向かっているような、しかもその崩壊は遠い未来ではなく近い将来に起こるのではないかと思っていました。むしろそうあってほしいという願望だったのかもしれません。私権原理によって構成された社会が内包する矛盾・歪みが、私の潜在思念に終末を予感させていたのかも知れません。私権原理で統合されている社会以外を知らない私は、まさに潮流6での収束不全状態にあったのです。

 最後に、共認原理を知り自分の考え(及び行動)に大きく変化があったことに気付いたことです。私は今まで、個人主義に疑念を抱きつつも、これによって社会が構成されていると考えていたため、人間のいわゆる共認不全状態はどうしようもないものだと考えていました。社会は私権原理と、しかしながらそれだけでは回らないので、「思いやり」や「いたわり」といった【気持ち】で構成されているのだと。その「思いやり」「いたわり」といった共認的なものを原理として理論展開することなく、ただただ不全感を垂れ流す社会を否定視していました。
しかし、人類の共認形成の歴史を潮流1から学ぶことによって、共認機能なくして私権原理の社会は存在し得ず、本来人を動かし得るのは共認原理なのだと知りました。私の中の「あきらめの思考」から、一転して収束可能性・方向性を見出すことができ、充足への課題提起も出来るようになりました(あきらめ思考では課題もなにもない)。共認機能に着眼した思考による日々の行動で、自分のまわりの人を(また、スパイラル的にその外まで)共認充足させていくことが出来ると考えています。




ぽちゃ 

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