学者とマスコミが人類を破滅に導く

2014年11月

自民党政権から民主党へと政権交代もあったが、「民主党でもやっぱりダメ」「どこが政権を握っても同じ」と感じたのではないだろうか。

それもそのはず、そもそも「民主主義」というイデオロギーそのものが私権発の欺瞞観念なのだ。152369
生存圧力を克服した今、私権発では何も解決するはずがなく、誰も可能性を感じない。にも関わらず相変わらず政治は「民主主義」という欺瞞観念を(形骸化してきてはいるが)振りかざしている。
その結果が衆院選における得票率の下落リンク=現政治への諦観なのである。

社会が閉塞している今、社会への関心は高まっている。
今こそ「民主主義」という欺瞞観念から脱却し、共認原理による政治制度を皆で模索し確立していくべき時なのではないだろうか。
ついつい政党の政策1つ1つが槍玉に挙げられるが、疑うべきは「民主主義」そのものなのである。



匿名希望

●市場権力が国家権力を上回るに至ったのは何故か?

古代市場は「略奪」そして宮廷サロンにおける性市場に発生する性幻想をテコにした幻想価値の捏造(騙し)にもとづく商品市場により発達した。しかし国家に寄生して始まった古代市場の規模は国家規模の枠内にとどまっていたし、性市場も家父長権の下で、その肥大化には歯止めがかかっていた。

しかし、近世になると性市場は都市全体に広がっていき、それを契機に商品市場は国家の枠を超えて拡大していった。決定的だったのは、ルネッサンス時代、人間主義(ヒューマニズム)という名の下で自我私権・恋愛・自由の追求が是とされたことである。古代において、私権闘争は序列原理=身分制度によって箍がはめられており、暴走できないようになっていたが、ヒューマニズムは、自由、恋愛など自我私権の追求を正当化し、序列原理を解体していく。そして、無制限な自我私権の追求を是とする人々の意識潮流が形成されていったことで、国家権力も、市場主義を是とするしかなくなっていった。その結果、市場権力(金貸し)は国家権力の枠を超えて無限に拡大し、暴走するようになり、金貸しの意向を受けた学者・近代官僚・マスコミも国民の利益という枠を踏み外して暴走するようになったのである。

このことから近代思想は、その出発点から金貸しによる自我私権の拡大を正当化のための思想であり、近代思想に立脚した学者・官僚・マスコミは骨の髄から金貸しの手先であるといえよう。実際、ルネッサンスの作家や芸術家たちを支えたのは、金貸し(メディチ家)であったし、教会に替わってマスコミや学者を育て、古代官僚制度に替わって近代民主国家=近代官僚制度を作りだしたのも金貸し(ロスチャイルド等)であった。

つまり近代市場社会成立の背後には欧州の都市全体に広がった無制限な自我私権の追求を是とする人々の意識潮流があり、その成立背景には、自我私権追求を正当化する近代思想があり、さらにその奥には彼ら近代思想家・芸術家たちを支えた金貸しの力があったのだ。



山澤貴志

特権階級とは、学者・官僚のことであり、社会統合の必要性から生み出された。その出発点は、武力支配社会であり、国王が地方豪族の力をそぐ為に試験制度で官僚を選出するところから始まっている。

試験で官僚を選ぶ制度は、その出発点から国家課題を自集団課題や自分課題に矮小化するという欠陥をはらんでいた。これが特権階級が暴走する構造の原点になっている。

しかし、古代国家の時代は、国王と官僚・学者の序列圧力が強固であり、さらに国家間の闘争圧力が強く働くことから、国家統合こそが第一課題となり、特権階級の暴走は抑止される。

ところが、市場社会の時代になると、国家よりも市場の力が強まり、第一権力が国家の外にいる金貸しに変化する。さらに、金貸しに都合の良い理屈として個人主義思想が登場し、特権階級は金貸しの手先となって国家統合よりも、市場拡大が第一課題となる。

ただし、市場社会の初期には、貧困の圧力があり、全ての国民が強く私権の拡大を求めていたことから、特権階級にも強い監視圧力が働き、公平・中立という大原則を逸脱することはなかった。

それが、1970年に貧困が消滅し、国民の私権追及活力が衰弱し始め、国民の監視圧力が弱まると、公平・中立の原則から逸脱し、金貸しの手先となり市場原理を推し進める動きがつよくなる。

近年では、さらに国民の私権活力が衰弱し殆ど監視圧力が機能しなくなる。そして、国家課題を自集団課題や自分課題に矮小化するという官僚制度の欠陥は、歯止めを完全に失い暴走を始める。



野田雄二

>「ルネサンス」という新文化現象の背景をなしたのは、都市と経済の勃興であり、フィレンツェの金融業者メディチ家に代表されるような大商人の台頭だった。
>メディチ家は教皇庁の財産管理にあたり、ヨーロッパに16の支店をもち、一時はフィレンツェ市の歳入の65%を納めて市政を牛耳っていた。一族から2名の教皇、2名のフランス王妃を出し、王族と肩を並べる勢力を誇っていたのである。
>こうした大商人の出現は、十字軍以来、イタリアの諸都市が東地中海の交易圏の主導権を握り、モンゴル帝国の大交易網と結びついたことにより可能になった。これによりイタリアは飛躍的に活性化したのである。
<「早わかり世界史」宮崎正勝著、日本実業出版社より引用>

>メディチ家は、ルネサンス期のイタリア・フィレンツェにおいて銀行家、政治家として台頭。フィレンツェの実質的な支配者として君臨し、後にトスカーナ大公国の君主となった一族である。その財力でボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなどの多数の芸術家をパトロンとして支援し、ルネサンスの文化を育てる上で大きな役割を果たしたことでも知られている。
<ウィキペディアより引用リンク

14~16世紀のルネサンスの背景には、大商人(金貸し)の台頭があり、大商人(金貸し)の台頭の背景には十字軍遠征があった。

十字軍遠征は11~13世紀の約180年間にわたって行われたが、その間に教皇の権力は失墜し、それまでの諸侯や騎士は没落していった。代わって、王権が強化され、国王に取り入った金貸しが台頭していった。そして、メディチ家のような大金貸しが政府の実権を握るようになる。(メディチ家の黄金時代が15世紀頃。)

ルネサンスは、十字軍遠征によって台頭した金貸しによってもたらされたものであると考えて間違いない。文芸復興というと何やら聞こえがいいが、その実は、金貸しの金儲け(自我私権拡大)の賜物であったのである。



雪竹恭一

■地域に根付いた共同作業による調査・研究と菜園家族森の学校

□地域における学校の役割
もともと学校はさまざまな暮らしの局面で地域住民と深くつながっていた。山彦学校、美咲の分教場、花巻農学校など、学校が地域に果してきた役割は非常に大きいことが分かる。

そこで、学校の役割を、児童・生徒の教育と地域づくりという二つの機能からなるものとして、明確に位置づける。

週休五日制のワークシェアリングによれば、教員数は倍増し、教員にも菜園が与えられ、集落の人々とともに、教育と地域づくりの活動に主導的な役割を果たしていく。そして、山村における新しい教育が、新しい教育理念の下に行われていく。知識のつめこみによる産業のための人材養成ではなく、子どもたちの生きる力を養い、育て、真の子どもの幸せに結びつく全人的教育が模索され、円熟していく。

□森の学校設立の狙い
差し迫った世界の転換期にあって、何よりもまず、これまでのものの見方、考え方を支配する認識の枠組み、すなわち既成のパラダイムの革新によってはじめて、既成の社会のあり方は根源的に問いただされ、時代の社会の構想が可能になる。

延々と続いてきた既成の組織や制度や体制が、人間の思考を旧来の枠組みに閉じ込め、圧殺するものであるとするならば、パラダイムの革新は、既存の大学や研究機関や「学会」というアカデミズムの世界からは、望むべくもない。

それが期待できるとすれば、権威に装われ、一見、立派に整ったかのように見える既存の機構や制度からではなく、以外にも時流からはずれた位置にある素朴で自由な「在野の学」からなのかもしれない。犬上川、芹川、流域地域圏の最奥の山中で、地域の人々ともにスタートに向けてようやく動き始めた菜園家族山の学校も、そのような一つでありたい。

菜園家族山の学校は、菜園家族構想の研究成果を暫定的な作業仮説とし、住民、市民そして研究者による、犬上川、芹川流域地域圏の点検・調査・立案の終わりなき連続螺旋円環運動を粘り強く続けていく。この調査・研究は、菜園家族山の学校の研究と教育と交流の三つの機能の中にしっかりと位置づけられ、教育と交流とも相互に有機的に連動しながら、効果を発揮していくだろう。

都市の住民も農山漁村の住民も商工業者も、また子どもからお年寄りに至るさまざまな世代の人々が自主的に楽しみながら学びあう場。これが、菜園家族山の学校の最大の特長になる。

したがって、ここでの「教育」の理念は、受験競争を目的とした近視眼的な知識詰め込み主義を根本から改めたものでなければならない。

土地を耕し、作物を育て、収穫する。料理し、食卓を囲み、味わい、語り合い、楽しむ。現代人にはとうに忘れられたこの一貫した素朴なプロセスの中に、自然との一体感と豊かな人間関係の基礎が育まれる。本当の自己実現は、すすんで身近な自然に親しみ、地域の活動や調査に参画し、そこから得た智慧を暮らしに活かし、自らの地域を変え、築き上げていく努力の中でこそ、果たされる。21世紀の教育の理念は、こうした確かな社会性に裏打ちされたディープエコロジーの立場にこそ見出されるだろう。

こういった考えの下、菜園家族山の学校が、休園となった大君ヶ畑の保育園を校舎として完成、徐々に稼動している。

(以上引用・要約終了)




千葉裕樹

このページのトップヘ