学者とマスコミが人類を破滅に導く

2015年03月

 実現論の斉唱会に参加し始めてからはや3ヶ月。日々の現実課題の中で変化を実感してきました。
 
 その変化とは、「潜在思念に素直に発信出来る様になってきた」という事です。

 元々現実課題の中で不全や可能性を発信する事は比較的得意でした。
しかし、期限圧力や(残存する)序列圧力に負けて、モヤモヤに蓋をする事も少なからずあり、その際、「時間もないしなあ」、「どうせ言ってもなあ」、「言うと自分の課題が増えるなあ」等、自分自身の中で正当化していました。
 また、仮に発信したとしても、頭で色々考えてから発信する為、タイミングを逸してしまう。という事も。

 しかし最近は、様々な現実課題に対して潜在的に感じる「おかしい」、「こうした方がもっと良くなるのでは?」という不全や可能性を、自分のフィルター(観念)を通すことなく発信する事が出来る様になって来ました。
 結果、以前に比べて、より仕事の中で充足感が得られる様になりつつあります。

 さて、このように変化する事が出来た要因を斉唱会の中に見出すと、
例えば
・斉唱会での充足体験から、自身が充足に貪欲になった。
⇒共認回路の再生
・一緒に仕事をしている仲間も斉唱会に参加しているので、充足の場が確立されつつある。
⇒充足空間の確立
等いくつか思いつくのですが、加えて最近強く感じるのが、「実現論」というテキストの重要性です。

 というのも「実現論」は「事実」を基にした文章なので、文章を解釈する必要がありません。「ああ、そういう事なんだ」と感じるだけです。その実現論を毎日斉唱していると、斉唱会以外の場でも聞こえてきた言葉がスッと自身の体の中に入ってくる感覚が生じます。
 この感覚を言葉化すると、旧い観念が洗い流され、「現実直視⇒どうする?」という真っ当な思考方法が再生されつつあるという感じです。
 また、斉唱会参加以前は、不全や可能性を文章化する事に対して苦手意識が無かったのですが、最近では感じた事に対して、話し言葉になっても文章にまでなりにくい事が増えています。
 この現象も、以前は旧観念に染め上げられた自身の頭の先っぽで現象を理解して、自分の都合の良い様に文章化するという「観念発の文章」だったのが、現実直視⇒潜在思念発で捉えた「潜在思念発の文章」に転換しつつある事を示している現象ではないでしょうか。今までやってこなかった思考方法だから文章が書けなくなっても当然です。
 そう考えると、今までは、「るいネット」で学んだ新観念も自身の旧い観念に取り込まれ、自身の中で価値観念化してしまっていた恐れさえ生じてきます。もったいなかった。

 「構造認識」という言葉に出会って早5年。ようやく、事実認識を真っ当に学び、使う事の出来る地平に立ったのではないか?というのが最近の実感です。
 「旧観念無用」。分かっていてもなかなか出来ないこの一言ですが、頭にこびりついた旧観念を洗い流してくれるのが実現論の斉唱なのではないかと可能性を感じています。





小林有吾

~続きです~
なんとこの腐敗に協力することを決めて、そして、これを国際基準としたのだ。
それは例えばこのようなことだ。

1. 1年ほど前にわれわれは数人で会員の一部にメールを送った。物理学会は、この問題を無視した上に、当時の学会の代表者はすぐに、この敵対的なメールがどこから来たかの調査を開始した。学会が良かった頃は、重要な問題に対しては議論するように促されたもので、議論が学会の主要な目的とされたが、もはや、それは不要なようだ。昨年、議論は沈黙する方向に位置付けられた。

2. 気候変動に関しての物理学会のひどく偏向した記載内容は、数人の人間によってランチの時に手早くまとめられたことがわかっており、そこには私が長く知っている学会の物理学者たちの才能を代表した意見は含まれてはいないことは明白だ。その顕著な点はその記載で使われている毒づいた単語で、それらは物理学で記述されることはほとんどない単語だ。

我々は、会議でこのことについて再考するように要請した。学会は応じて、秘密の委員会を指定したが、その委員会は地球温暖化の懐疑派とは一切合わず、議論することもせず、完全に気候温暖化に関しての記載を支持した。結局、会議では不確実性があることを認めながらも、オリジナルの記載に包括的な承認を与えた。

まるで、アメリカ物理学会が宇宙の支配者でもあるかのように、その記載は世界中の政府への大げさで愚かなアイディアを含んでいた。これは遊びやゲームではなく、国家の実体に関わる深刻な問題だ。そして、もはや、科学の学会としてのアメリカ物理学会の存在は瀬戸際に立たされている。

3. クライメイトゲート(気候研究ユニット・メール流出事件)がニュースとなり、その関係人物たちの陰謀が世界に示されたが、この詐欺のスケールの大きさはこれまで見たことのないものだった。私にはこのひどさを語る言葉が見つからないほどだ。
地球温暖化という問題はアメリカ物理学会の位置づけにどう影響したか。

何もない。
まったく何もない。
何しろ、これは科学ではないのだ。

4. 私たちの何人かははこの問題の中に科学を持ち込むための努力をした。そして、気候科学グループへの提案に必要な 200を越える署名を集めた。科学の問題に関して、開放された議論を展開することが物理学の伝統において重要だったし、また、国家に対しても有益だと思ったのだ。

そういえば、あなたはその時、私たちにアメリカ物理学会のメンバーの名簿を使うことを拒否したんだったね。だから、サインは集められないと思っていたかもしれない。そして、規定数に見合う署名が集まり、学会の必要条件に見合った。我々は単にこのテーマをオープンにしたいということで、我々の考えを詳しく述べたわけだ。

5. 驚いたことに、あなたがたは学会の規定をまるでコケにして、我々の要求を拒否した。そのかわりに、自分のコントロール下にあるメーリングリストを使って、気候と環境に関心を持つメンバーを世論調査に走らせたわけだ。

6. 今はあなたはさらに別の秘密委員会を作り、我々の嘆願書は無視し続けられている。学会は、最初からこの問題で、気候変動を主張することによるメリットに関しての重大な会話を避けるようにしてきた。

あなたは私が物理学会に対する信頼を失ったことが不思議かな?

他人の動機を推測して議論することは危険だが、ここで私はあなたにひとつの考えを示す必要があるかもしれない。物理学会の首脳部のこの陰謀は、単純な説明ができないほど奇妙だ。物理学者たちが以前ほど頭が良くないというようなことを言う人もいるが、私はそれを問題としたいとは思わない。

結局、問題はお金なのだ。これはアイゼンハワーが正確に半世紀前に警告していたことだ。

クラブのメンバーであることに伴う名声と栄光。南国の島への旅行に何度でも行ける。そして、ここに関わる実に何兆ドルものマネー。もし、この「地球温暖化バブル」が弾けたら、その人たちがどれだけの金額的損失を被るかわからないほどだ。

ペンシルバニア州が気象学者のマイケル・マンの不正を赦免し、そして、 イースト・アングリア大学も気候変化学者フィル・ジョーンズに同じように放免した。(訳者注/2名とも地球温暖化を主張する気候学者)

「風がどちらから吹いてくるかを知るためには気象予報士になる必要はない」という古い言葉がある。私は哲学者ではないので、科学者たちがいかに腐敗の一線を越えていくのかというような心の問題を探求するつもりはないが、しかし、クライメートゲートに関しての文書をよく読むと、地球温暖化がまったく学術的なものではないことは明らかだ。

私はそんな一部になりたくない。

なので、どうかこの辞表を受け取ってほしい。

私はすでにアメリカ物理学会を代表する人間ではなくなった。しかし、今後も友人ではありたいとは思う。

ハルより。

ハロルド・ルイス氏の経歴
・カリフォルニア大学名誉教授。元学長
・アメリカ防衛科学局の技術パネル元局長。防衛科学局では核の冬について研究。
・米国原子炉安全諮問委員会の元委員
・大統領直属の原子力発電監視委員会の元委員
・JASONの共同創立者であり元議長
・空軍科学顧問委員会の元委員
・第二次世界大戦では海軍に所属
~引用終わり~






丸一浩

■【地球温暖化詐欺】を公表する米国の物理学者に関する記事です。
>結局、問題はお金なのだ。これはアイゼンハワーが正確に半世紀前に警告していたことだ。(下記記事より)
>「職業化」とは、「お金化」と言ってもよく、学問を賃金や名誉に置き換え、学問的興味より、賃金が上がるとか、名誉が得られるということを上位に置く考え方を言う。
 マックス・ウェーバーは「学問の手段化」とも解釈している。学問はそれ自体が本来の目的を持っていたが、それがお金を稼いだり、名誉を得たりする手段になったことを意味している。
233974 あれは、そうだったのか! 学者と報道の謎が解ける より)
★学問の目的は「事実の追求」「摂理の探求」であると思う。
 しかし、現代の学問は「金儲けの道具」に成り下がっている。
 るいネットのような素人による「事実追求・認識形成」の場がこれを超えていくに違いない。
 それにしても、心ある日本の学者の奮起も期待したい。
●In Deep リンクの記事より引用です。
~引用開始~
地球温暖化と米国物理学会のありかたを非難して学会を脱退した科学者の辞表の全内容
US physics professor: 'Global warming is the greatest and most successful pseudoscientific fraud I have seen in my long life'
テレグラフ 2010.10.09

米国の物理学教授:「科学者としての長い人生の中で、地球温暖化ほどの疑似科学的な巨大詐欺は見たことがない」

ハロルド・ルイス氏は、カリフォルニア大学の物理学の名誉教授だ。
ここに彼が辞表とした書いた手紙がある。アメリカ物理学会の理事であるプリンストン大学のカーティス・カラン博士に宛てて書かれたものだ。

気象学者のアンソニー・ワッツ氏はこの手紙についてこう言った。
「この手紙は、科学史の中で極めて重要なものとなるはずで、マルティン・ルターが1517年にヴィッテンベルク城教会の扉に張り出した「95ヶ条の論題」と並べられるほどの意味がある。科学に関係しているすべてのブログの人たちはこの手紙を紹介する意義があるはずだ」。

以下がその手紙の全文となる。

親愛なるカートへ。

私が67年前に初めてアメリカ物理学会に加入した頃は、まだこの会も小さくて穏やかで、そして何より今のようにお金にまみれて腐敗しているということはなかった(これについては半世紀前にドワイト・アイゼンハワーが警告していたが)。当時は、職業として物理学を選択するということは、それはもう貧乏に生きていくことを覚悟することが決まっていた。

それをすべて変えてしまったのが第二次世界大戦だった。
物理学者たちの世俗的な収入が上がったんだよ。

35年前に、私が初めてアメリカ物理学会の議長になった時に原子炉の安全性研究の問題が激しく論じられていた。狂信者たちはいたが、それはあくまで外部の人々で、物理学者たちに過度の圧力がかかる気配はまったくなかった。したがって、我々は、自分たちの信念を持つことや、あるいは状況に対しての正直な評価ができたんだ。

ピーフ・パノフスキー氏とヴィッキー・ヴァイスコプフ氏、そして、ハンス・ベーテ氏という非難を越えたところにそびえ立つ3名の著名な物理学者から成る監視委員会の存在も、それを後押ししてくれたものだった。

私は自分があんな素晴らしい環境の中にいられることが誇りだった。
あの三氏への感謝はまったくどう表現していいのかわからないほどだ。

監視委員会は最終的に、物理学会への報告書の中で、物理学会が独立した組織として仕事が続けるように注意を促した。そのうち、外部と内部の両方からの攻撃にさらされるだろうと予測したのだ。

そして、今・・・。なんと変わってしまったのか。

もうあの巨星たちは地球にはおらず、マネーだけが科学研究のレゾンデートル(存在意義)となってしまった。多くの物理学者たちに、生計を立てる以上の収入をもたらす専門的な仕事が提供されている。

私は自分がアメリカ物理学会の会員だったことに長く誇りを持ち続けた。しかし、じきに、学会の会員であることを恥だと思うようになるだろう。その前に私はアメリカ物理学会から脱退する辞意を君に表名したい。

もちろん、大きな原因は地球温暖化詐欺についてだ。

こいつは文字通り、何兆ものドルを産みだし、数多くの科学者たちを堕落させた。そして、物理学会もその波に飲み込まれてしまった。

物理学者としての長い人生の中で、私はこれほど成功した巨大な疑似科学的な詐欺を見たことがない。ほんの少しでも疑いを持つ人がいるなら、クライメイトゲート(気候研究ユニット・メール流出事件)の文書を読んでみるといい。

あれは事実を暴いたものだ(アンドリュー・モントフォードの本は事実が実によく書かれている)。あれを読めば、科学者だろうが科学者ではなかろうが、誰でもそこに嫌悪を感じるはずだ。

そして、物理学会はこの問題に直面した時に何をしたか?
~続く~






丸一浩

大衆が、メディアそのものやジャーナリストというひとたちを胡散臭く感じるのは、彼らが、本来の役割である「事実を伝える」というスタイルを借りながら、発信される中身は「自分の意見」や「自分の感想」、「自分の見解」そのものである、というところだと思う。

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橋本:私は批評は要らないんです。ちゃんと紹介してくれれば。
   ちゃんとした紹介が最大の批評だた思ってるんです。いまは紹介の
   仕方が下手。私がこう読みましたというのが紹介になっているけれ
   ども、それじゃ感想文じゃん、帯に書いてあることを、ちょっと転
   載してみたり。「これはこういう本だから読むべきです」というの
   が、ちゃんとした紹介文なんです。紹介文が書けなくなっているん
   ですよね。紹介文でさえ、感想文になってしまっているということ
   が最大の問題だと思う。
   紹介というのは、それこそパブリックな仕事じゃないですか、でも
   そうすると「自分の責任はどこにあるんだろう」になって、百字ぐ
   らいの紹介文でさえも責任のとりようがないから、自分の感想文に
   して「自分が責任をとりました」みたいにしたいんですよ。

内田:ふーん・・・なんかちょっと耳が痛いな(笑)書いた者としては。

橋本:「主観を出せば一人前っぽいから主観を出す」というのが当たり前
   のスタイルになっちゃった。主観を消すというテクニックがもうわ
   からないんですね。
   (中略)
   文芸批評の最大の根本はさっきの話じゃないですけれども、あらす
   じを書くことなんです。この小説がどういう小説だったかというあ
   らすじがきちんと書けたら一人前なんですよね。

内田:なるほど・・。

橋本:あらすじ、書けないんだもの皆。

「橋本治と内田樹」
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例えば書物。読んでいないひとでも内容がわかるように、端的にあらすじを伝えることは案外アタマを使う。なんといっても、書物を丹念に読み込む必要があるから、手間ヒマがかかる。本来、メディア=媒体の真価は、そこにあるのだと思う。

一方、感想文になると、「わたし的には・・」という但し書き付になるので、「垂れ流し」が前提になる。それが主流になり、メディア=媒体も、受け手も激しく劣化が進んでいたと思う。

しかし、最近は、例えば、ラジオを聴いていて、いとも簡単にアナウンサーが事件の善悪を断じていたりすると、ビクッとすることがある。これだけおかしな事件・現象が起こると、普通の人間でも、その程度の感度は身に付いてくる。

>その最大の原因は、ネットの台頭よりもむしろ、従来型マスメディア自身の力が落ちたこと、ジャーナリストたちが知的に劣化したことで、そのためにメディアそのものが瓦解しようとしているのだと思います。(239183)

大衆が「おかしい」と気づき始め、メディアの瓦解が始まった。





阿部佳容子

■日本人に可能性はあるのか?

・ひたすらアメリカの言いなりになるだけの政治家、官僚=特権階級
・彼ら特権階級の手足となり、偏向報道を続けるだけのマスコミ
・そのマスコミ報道→「作られた世論」に、右往左往する庶民
今の日本は、世界各国の後塵を拝し、嵐に漂う枯葉のような存在となりつつある。

しかし、一方では、暴走する特権階級(政治家、官僚、検察、マスコミ)を冷ややかに(自分には関係ないと)見ている庶民も多い。

■なぜ、大衆と特権階級の断層が広がるのか?

   私権空間の空洞化 → 特権階級の暴走
   ↑               ↓
私権の衰弱            大衆と特権階級の断絶
   ↓               ↑
   豊かさ期待の消滅→収束不全⇒共認収束


1970年に豊かさが実現されるまでは、人々は貧困の圧力に晒され、飢えから逃れる為に必死になって働いた。この社会では、私権(お金や、お金を得るための身分)が共認されている(皆に認められている)ため、社会の全ての物財は私有の対象となり、私権を確保しなければ生きていけない。つまり、貧困の圧力の下では、私権獲得が第一義課題であり、活力源であった。この社会では、豊かさ期待という社会共認の中に、全成員が包摂されており、支配層も大衆も豊かさ期待と言う意思において一体であり、両者は繋がっていた。

しかし、1970年に工業生産の発展によって豊かさが実現されると、私権獲得はもはや第一義課題ではなくなり、人々はその為に必死に働こうとはしなくなる。私権獲得と言うそれまでの活力源を喪失し、若者は先行して「相手に喜んで欲しい」「みんなの役に立ちたい」という思いを強め、期待に応えて得られる共認充足を、新たな活力源とし始めている。

豊かさが実現されると、豊かさ期待は薄れて行き、無意識の深い地平で私益追求から離脱して共認充足に移行してゆく大衆と、あくまで私権追求・市場拡大を志向する特権階級の間に断層が生まれ、どんどん拡大していった。この断層は、1990年のバブル崩壊で大衆の私権追求意欲が急速に衰弱して行ったことにより、断絶し始めた。

いまや自らの私権=特権にしがみついているのは特権階級だけであり、共認収束を強める庶民との断層は広がる一方である。
そして、新しい活力源は、私権獲得ではなく共認充足にしかない。その意味で、世界でも最先端を進んでいるのは日本のように思える。日本に可能性はあるのか?





内藤琢

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