学者とマスコミが人類を破滅に導く

2015年04月

一般的になんとなく、学者=知識人である、という風に受け止められがちですが、ほんまにそうなん?というのは、るいネットに拠るまでもなく多くのひとが疑念として抱いていると思います。もっと言えば、知識人とは役立たずのことである、という反証存在に成り下がりつつある、というのが、現在の学者の立ち位置ではないでしょうか(本人だけが気づいていないという悲喜劇はともかく)。

しかし、太古より知識人は存在した訳で、彼なりの役割を担って、社会や集団を牽引してきたこともまた、一方の事実です。

本来の知識人に求められる能力、役割とはどういうことなのか?

興味深い対話を紹介します。
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開高:人間が自然から分離したときが一大革命であった。つぎにバッタを拾って食べるんじゃなくて穀物を栽培し、その余分の穀物を倉へ集めるようになった。穀物がよく実るようにというので人間は神殿を作った。神殿と神官と穀倉の番人、つまりここにはじめて手で働かない人間というものが出現した。こいつらを中心に古代国家が形成され、それは何万年、何十万年とかかった革命だった。それ以後二千年かそこらのあいだに無数の革命があったが、ことごとくヴァリエーションにすぎぬとおしゃっていますね。

今西:おおまかにいうてそうや。少なくとも国家というものが一つの社会の要素としてできて、そこで政治とか文化とかいうものがでてくるわけです。この形はいまだに踏襲しておる。もちろん近代化はしておるが、役割そのものは全然変わっとらんではないか。いったいこれは変わるものか、変わらぬものかということが一つの問題や。しかし、ぼくはこの国家の役割ちゅうもんはものすごく長くかかって人間が発見した最良の方法としてここまで来たもんであって、国家や民族は何らたよりにならんという意見の人がいるが、どこを押したらそんなこといえるんやろと思て、その点が非常に不思議な気がするねン。

開高:神官と倉の番人、これがやっぱり人類史上にあらわれた最初の知識人でしょうか。

今西:もう一つボスちゅうもんがおるわ。これも知識人かもしれんデ。国家という革命をやるまえの時代に群れのリーダーとか、家長とかがいたわね、これが知識人や。ぼくらの感じからいくと神官は知識人であるが、政治ボスとか軍事ボスというものは知識人のなかに入らない。知識人とはなんぞや、という定義が問題だけどね。そうすると神官というものは一体どういうものかということになるね。これは何かやっぱり神と人間との媒体として存在しておるのであって本を読んだからというて知識人になれるわけのものやない。そもそも原形の知識人は何かそこで宇宙を見ぬく、というとちょっと語弊があるけれども、何かふつうのものの感じられないような真理を会得できたようなものが当時の神官やないか。それからいうたら今の時代の、本ばかり読んどォる連中なあ、あんなもんが知識人であってたまるかい(笑)。困ったものですわ。

開高:地球は回ってるぞと言い出した男がいるし、ミシン作ったら女が救われるデといいだした男もいるし、万国の労働者よ団結せよと言い出したものもいるし、それぞれ、同時代の社会にとってタブーと思えるような衝撃力を持ち込んできて、それで社会の新陳代謝をはかった人たちがいますね。これをまァ大知識人とわれわれ感じているんですけれども、古代社会といいますか、古代国家ではこういう人たちはどういうことをやってたんでしょうかね。

今西:私もそこになるとじっさいサルみたいな観察や何かでかためておりませんからよういわんけれど、やっぱり今年は旱魃やデ、とか、洪水がくるデ、とか、そういう予言みたいなものをやったんじゃないですか。その伝統はいまでも残っておると思うのです。だから科学というものはやっぱり予言ができなかったらほんとの科学になっておらんということがいえるわけです。科学が法則を求めるということは結局法則に立脚して予言ができるということになるわけですね。

開高健「人とこの世界~今西錦司との対談」より

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細分化された狭い専門分野の中だけでは、社会不全に対する答えは導き出せないでしょう。学者と呼ばれるひとには、そこはハナから期待していない。せめて、専門分野では何か新しい定理なり、法則の提起を期待するのですが・・・。

現代において、知識人と呼ばれるひとたちは一体何者なのか?
特権身分に収束したひとたちの一群でしかないのか?

身分や特権からは遠い存在であることが、ひとを、幸いにし自由にするのだと思います。

阿部佳容子
 

以下、三橋貴明のオフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ」リンクより転載。

──<転載開始>──
◆◆ご投稿「「TPP」で世界は亡ぶ(京都大学教授 藤井聡)」◆◆

 我が国にはどういう訳か、「自由貿易は善」であり、その自由貿易の対立概念である「保護貿易は悪」であると、頑なに信じて疑わない人が多い。こういう人々は、例えばTPPへの加入がどれだけ我が国の国益を損ねることを明示しても、どこかで「本来は、TPPへ加入すべきなのだ」という信念を捨てきれないようである。その背景には、「自由貿易は全体の利益に繋がる一方で、保護貿易は一国の利益に資するものにしか過ぎない、したがって、保護貿易は“不道徳”だが、自由貿易は“道徳的”だ」という思いこみがあるようだ。つまり関税が存在することそのものが彼らにとって「悪」なのであり、その完全撤廃をもたらすTPPは「善」なのである。

 しかし、「過激」な自由貿易は、究極的には日本を含めた様々な国々を「亡ぼす」。それは次の理由による。
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①過去、自らの思想体系を表明した多くの哲学者や文学者といわれる人間が存在した。例えば近代で見ると、カント、ウィトゲンシュタイン、ドストエフスキー、ヘッセ、日本においては太宰治や志賀直哉、川端、有島武郎など色々いるが無論これだけということではなく、古今東西数多くの思想家が自らの哲学体系を学究していった。
哲、文、問わず自分の専門分野で独自の思想体系を醸成したという意味合いで哲学者は勿論、文学者もさらには数学者、物理学者もみな、思想家であったといえる。だが、このことに自分は違和感を禁じ得ない。
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①´それは自らの思想体系を作り上げたいわゆる学者のような人々は、独自の思想体系を具現したのにも関わらず、生きずらさを感じていたり、自分の情動をコントロールできなかったり、悪い嗜癖を持っていたりいわゆる”生き方下手”に苦しんでいた人が少なくないからである。無論、全部が全部とはいわない。

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『金融経済はトリックの塊・・・・実体なき経済は何れ潰える!』(飄(つむじ風))リンクより転載します。
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何とも詐欺的トリックではないか・・・。
金融経済は、トリックの塊!
それで由(よし)とした資本主義経済に未来はあるのか?

大方が、それで由(よし)としているのである。これまでが良かったから、未来もそうであろうと考えている。しかし、実体が伴わなかったら、ただの詐欺に終わる。

【転載開始】リンク

ある日、中国人の旅行者がNYにあるDebt(借金)という名のホテルにやってきた。手の切れるようなピン札100ドルをカウンターに置いてオーナー・マネージャーに、今夜100ドルで泊まりたいので階上の部屋を見せてくれと言った。
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ホメロースの時代はヨーロッパも西洋もただの黒い樹林の広がったところであり、「西洋哲学の始祖」ソクラテス、「西洋歴史の父」トゥキディデス、「西洋医学の開祖」ヒポクラテス諸氏の時代なっても同じく西洋はただの黒い樹林の広がったところであった。

小田実の「西雷東騒」から引用した株式日記と経済展望(リンク )の引用文より

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私(小田実)は、今、ホメーロスの「イーリアス」の翻訳にとりかかっている。訳していて、あらためて考えることがある。ホメーロスとは何者か。これは1960年にギリシャをはじめて訪れて以来ずっと考えて来た疑問だ。
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