学者とマスコミが人類を破滅に導く

2017年12月

半歩前へ より転載です
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2017年10月30日
下流の民間など犠牲にしてよいと福沢諭吉!

民衆を裏切った福沢諭吉 隠されたもう一つの顔!
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の続き。

 また、明治七年に長沼事件と関わったことで、民衆が、自分の期待する「一身独立の気風」を身につけるにはほど遠いことを実感した。日本が文明化するまで、「下流の民間」が啓蒙されるのは、待ってられない(P.178)。

 同時に、明治八年に四十歳を迎え、老年を意識し、余生の短い事を悟っていた福沢にとって(P.183)、教育のような迂遠な方法に頼っている時間も残されていなかった(P.194)。むしろ、内安外競の「方便」として、「下流の民間」など犠牲にしてもよい(P.167, 281)。

 つまり、明治八年に書き下ろされ、啓蒙思想の頂点と誉れの高い『文明論之概略』は、福沢文明論の凋落でしかなかったのである(P.168)。明治十四年の『時事小言』では、それが露骨に宣言されているという(P.201)。

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(続き)

DARKNESSより、「自由・平等・博愛」を捨て去ると簡単に現実主義になれる
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◆「平和を祈願すれば平和になる」というのは理想

「平和を祈願すれば平和になる」というのは理想だ。現実ではない。理想が現実だと思ったら、日本という国は消えてなくなってしまう。

国の存続がかかっているのだから、理想と現実は絶対に取り違えてはならない。

ところで、日本が理想と現実を取り違えてしまったものは、他にもある。たとえば、世界は「平等」を目指しており、それが実現できると思っている人もいる。

あるいは、「人類みな兄弟」に代表されるような「博愛」の概念は世界で共通していると勘違いしている可能性もある。

「自由・平等・博愛」はフランス人が提唱した概念だが、なぜか平和憲法を押し付けられた戦後の日本人が、一番それを信じているように見える。
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