>これを読んではっとさせられました。今まで「運動」というと、「反」「否」「不」といったマイナスから発生する胡散臭いイメージでした。
(19844 村上さん)

なるほど、確かに言われてみるとその通りですね
運動と言うと、何かキナ臭いようなマイナスイメージしか出てこない原因がわかった気がします

19864で庄さんが70年代全共闘世代の運動理念とも言うべき「否定意識」について書かれていますが、「否定意識」はこの70年代に限ったことでは無いようです
歴史を振り返れば、運動や革命と名のつくものは全てこの「否定意識」を原点にしていたのでしょう

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制度の否定、政治の否定、宗教の否定、文化の否定、人種の否定、価値意識の否定・・・切りが無い

歴史の中で先人達は、「変革だ!」と叫びながら、その実、行ってきたのは、自らにとって都合の悪い現実の否定のみ、その先の社会を見据えていない
現実を否定し、制度を解体し、どうするのか、その答えを持っていない

都合の悪い現実を否定して勝ち取った変革、全てを統合する答えがないゆえに今度は自らに都合のいい社会を捏造し始める
一部の人間のみにとって都合の良い「社会」、そんな偽者は、また軋轢を生み出す
永久に終わることの無い、否定運動

そんなもので真に社会が統合できるわけが無い
それが生み出すのは、新たな軋轢と否定意識

このように考えてみれば、今僕達の住んでいる世界は全て否定の運動の先に導かれたものであることがわかります
歴史の中で繰り返されてきた変革は、実はほんの上っ面の価値観のみを変えてきただけで、根本は私権社会の始まりから何も変わっていないのかもしれません
もし、変わっているのであれば、社会はここまで閉塞しなかったのではないでしょうか

全てが否定の上に成り立っているが故に、次々と軋轢が生まれ、軋轢は新たな否定を生みだす
否定が否定を再生産する。そのために社会は閉塞してしまったのでしょう

閉塞しきってしまった今、求められるのは、この「否定の歴史」そのものを引っ繰り返す真の変革なのでしょう
その変革とは、潜在思念に感じる「可能性」を紡いでいくことを置いて他には無いと感じます

自分にとって都合の悪い現実のみを否定するのではなく、否定の歴史の中で捏造されてきた旧観念を「全否定」する
そうして初めて解き放たれる潜在思念が感じ取る可能性を紡ぎ、再構築してゆく
その先にある社会は、一部の人間にとって都合の良い社会などであるはずがありません
そこにこそ、社会統合の可能性があるのだと感じます
 


西谷文宏