この掲示板を見て、つくづく思うのだが、人間は、認識を共有する仲間がいて、初めてモノを考えられるのではないだろうか?

 おそらく、人々は(一人一人では)危機感も持っているし、社会の問題点に(うすうすながらでも)気づき始めている。
 しかし、その危機や問題の状況認識を共有する場がないとしたらどうだろうか?

 もし、状況を突破しようと思えば、突破する方法論を考えなければならない。解決方法を見つけるためには、少なくとも、状況の原因を考えなければならないが、このような危機・問題意識(≒不全)を一人で直視し続けるのは、とても耐え難い。

 モノを考え続けると言うことは、実は恐ろしくエネルギーを必要とする。その活力の源泉は常に与え続けられなければならないはずだが、そのような場もない。
 
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たいていの場合、その考えようとする試みは、挫折するだろう。

 深刻なのは、その時点で既に、人々が必要としている「答え」にたどり着く入り口が、ことごとく潰されてゆくということだ。



阪本剛