「自由」や「人権」以外にもまだまだ欺瞞観念が蔓延っていますね。

例えば
ある環境団体のホームページにはこのようなことが書かれていました。

>「自分のできることから実行する」
省エネ、節電、マイ箸を持つ、買い物袋を持つ、無駄や贅沢や飽食をやめるなど、できることから始めましょう。<

その行為自体を否定するつもりは全くありません。
しかしその行為が環境にやさしいとか解決の第一歩と捉えることに大きな過ちがあるのです。一向に解決しない現実の答えになっていないのです。
肝心の過剰消費を問題として取り上げてはいますが、根本原因を追求することなく、短絡的に個人が何か目に見える行動を起こすことで正当化される。
欺瞞観念が思考停止の免罪符になっているのです。

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また、るいネットにおいても、難しいから云々と言った批判もちらほらあるようです。
確かに生物進化も含め、時代をさかのぼって社会を構造的に捉えることは簡単ではありません。しかし思考を停止し、安易にわかりやすい答えを求める姿は私権時代の奴隷の習性そのものです。
(もっとも、可能性収束した人が見れば、表意文字である漢字を組み合わせた概念は感覚的にも推測可能で「難しいけどためになる」といった全く逆の投稿も見受けられるのですが…。)

私たちは外圧に適応するために本能や共認、観念などの諸機能を獲得しました。
「自分のできること」とは最大の不全である同類圧力に対し全ての機能、とりわけ観念機能をフルに活用することに他なりません。

参考
32087 超国家・超市場論18 認識形成の『場』を構築することこそ、真の社会活動である
31570「まず実践」の問題性 


辻一洋