>学者や文化人やマスコミは、教育や研究や発信を業とする特権階級であり、社会の単なる傍観者に過ぎない。決して現実社会を生きる当事者なのではない。(32569

この端的な認識は、今までいろいろな事象を思い込みで見過ごしてきたが故に抱えていた不全に対してスッキリしたものを与えてくれます。
そして、彼らは、傍観者に過ぎないにもかかわらず、現状維持を強固に図ろうとする力に加担するマイナス要因としての存在であることを理解させてくれます。

例えば、誰しもが多かれ少なかれ日常の仕事の中で疑問に感じながら見過ごしてきた1つに“行政指導や通達等”というものがあります。
今まではこの行政指導や通達については仕方がない当たり前のことのように思っていましたが、これは、官僚が、誰も認めた覚えの無い特権をあたかも当たり前のように行使していることではないでしょうか。
なぜなら、官僚達は、自らつくった法律を当の本人が解釈をおこなうといった権限によって、行政指導や通達や許認可権などを駆使し、企業の活動をあれこれ規制できる生産と流通のコントロールシステムを操つることができるのです。

なぜ、誰も選んだ覚えのない者にこのような権力が当たり前のように存在しているのか?

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最近になって少しずつ官僚や行政への不信は社会的に高まってきました。
しかし、何となく私たちは、少なくとも選挙を通じて選んでいる(現在の選挙の問題についてはここでは一旦保留にします)政治家に対しては権力をもっており常に監視されるべきだと思っていながら、官僚に対してはそのような意識が薄かったと思います。
また、政治家に対しては国を治める力も資格ももはや無いと気付きながら、一方で、選挙で選ばれたわけでもない官僚にはその能力がまだあり任せた方が良いとさえ考えているところもありました。
そして、倒錯した近代観念に凝り固まり人権問題や政治問題に一生懸命取り組んでいる市民活動家ほど、社会の本質問題を棚に挙げて「政治家の腐敗を最大の問題」とばかりに声を上げます。そして、マスコミが学者や文化人の言葉を借りてそうした政治への怒りを煽りたてます。
しかし、そのような問題を矮小化した動きが、問題の矛先を誤魔化し、現状維持の動きを強固にしていっているのです。

つまり、結局、実際に腐敗している政治家、現状維持に躍起な官僚に、傍観者に過ぎない学者、文化人、マスコミが一体(ぐる)になって、問題の本質を脇に置き、ワイドショー的に「政治家の腐敗こそ政治の最大課題」というガス抜き程度にしかならないことを繰り返しているのです。そして、それにより、いつも私たちは、問題の本質を考える機会を奪われ,ごまかされ続け、そして、何も変わらず問題の被害だけ被ってきたのです。


しかし、私たちはもう理解した。このような傍観者に過ぎないにもかかわらず権力を行使する者に任せていてはどうにもならないことを。
「当事者」たる我々が協働して決めてゆかなければならないことを。「半専任」という言葉、あるいは仕組みの重要性を。
そして、「認識形成の場」に参加することの意味を。



麻丘東出