>お金は(決して認識の質を測るモノサシなのではなく)、現実の必要度を測るモノサシとして機能するのである。

以下は6月10日の毎日新聞夕刊に載った、呉智英氏の記事です。
>先日、ある新聞の投書欄に、本の定価が高すぎないかという主婦の意見が載った。書評で知った本を書店で見ると1500円もしている、家計をあずかる主婦には痛手だ、というのだ。これに類した声は他でもしばしば聞く。何年か前、ある女性作家が、昔にくらべて本は何と高くなったものかと書いているのを見て、驚いたことがある。彼女は、先の主婦とちがい、年収何億円の大ベストセラー作家なのだ。
>本の値段は、ここ1世紀、一貫して下がり続けている。大正15年(1926年)年末に「円本」ブームが起きた。1冊1円の文学全集である。現在の5、6千円に相当する。それが安いというので売れに売れたのだ。戦後に限っても、私が学生だった1970年ごろ、単行本は4、5百円のものが多かった。大卒初任給が8倍ほどになっているから、現在の3、4千円である。マンガ雑誌は80円前後だったから、現在の6百円である。しかも当時はページ数も少なかった。本は明らかに安くなっている。

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本の実質価格は安くなっているのにも関らず、人々の実感では本は高くなっている。このことは、既成観念の価格=現実の必要性が暴落していることを意味しているのでしょう。同じ記事によると、ネット情報を有料にすると利用者が激減して、コンテンツ開発制作に要した費用さえ回収できないそうです。このことも、既成観念や解脱情報は現実の必要度が低下しており、誰も金を払ってまでして見ようとは思わないということを示しています。この現象は逆に言うと、人々が本当に必要とする認識に対する欠乏が蓄積していると見ることもできると思います。


冨田彰男