>権力者の不正を許さない(または密室性を廃し透明にせよという)人々の監視圧力の高まりを是と感じる一方で、それで何か好転したのか、益々閉塞感は強まっているではないかという根本的な疑問も生じます。 

マスコミは日々、国家や市場(企業)を叩くけど、彼らはすでに力を失っていると思います。
実際、政治家になりたいっていう人もお金持ちになりたいっていう人も少なくなったし、身分やお金が人々の共認によって力を持つものだとしたら、そこには、「他に代わるものがないので(参考:32086)」というだけの引力しかありません。

でも、マスコミ人気はまだ根強いと思います。
ただ、以前のように「お芝居に命かけてます」とか「歌に思い入れがあります」とか、そういうある1つのものに嵌るのはむしろ流行らなくって、とにかくその社会的な評価上の地位というか結果というか、そういうのに価値があるような感じで、「何でも楽しくやります」とか「特にこだわりはありません」とかいうのが増えている気がします。 にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ
>共認の独占支配、これこそ権力の最たるものです。

テレビで流れる言葉に感じる違和感は年々強くなりつつも、代償価値には嵌れなくなりつつも、マスコミに向かってしまうのって、マスコミがとりあえず既存の体制の中の1番の権力者(最大の評価者)だと知っているからじゃないでしょうか。
つまり、身分にもお金にもすがれなくなった、私権存在の最後の拠り所なんだと思います。

それに対して、マスコミの胡散臭さの方をより強く感じている人も多くいると思いますが、代わりのもの=答えを見つけない限りは、どうしようもありません。
『超国家・超市場論(国家や市場に代わる新しい統合機関)』の議論の後、みんなが自然と「代償充足」や「芸能」や「マスコミ」といったテーマに収束していったのは、『超マスコミ論?(マスコミに代わる新しい共認機関)』を求めているからじゃないかと思いました。

西知子