>現在は、充足基調を維持すべく、潜在思念に増大してゆく社会不全を、「等身大の幸せ」「分り易い言葉」「身近な運動」etcの誤魔化しの言葉に縋ることよって、頭で必死に課題捨象している段階だとも云える。(24981

観念捨象を観念で正当化している状態には、若者自身、気持ち悪さを感じていると思います。

>社会不全は答え(=新しい認識)によってしか解消されない。つまり、社会不全を従来の解脱様式で捨象することは出来ない。(例えばテレビは私権不全から社会不全への大転換によって、完全にズレた物となり果てた。)また、「等身大の幸せ」etcの言葉=頭でいくら捨象しても、解脱充足先がない以上、不全は解消しない。その上、不全の増大につれて充足基調の充足度も、どんどん低下してゆく。従って、社会不全→外向欠乏の上昇によって、答え欠乏=認識欠乏が顕在化してくるのは時間の問題である。しかし、間違ってはならない。人々は潜在思念の源に強い社会不全を孕んでいるからこそ、充足を(つまりは、答えを)求める。実際、人々は愚痴や批判ではなく(そんな言葉は聞きたくもない)、何か答えになりそうな可能性の感じられる新しい認識を求めているのである。(24982
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そんな若者にとって、この状況認識は一つの大きな答えで、それはそのまま、単なる人つながりを超えた新しい交流会のイメージになるんじゃないかと思いました。

西知子