旧観念が生まれてきた歴史的背景には、初めから、現実には目を瞑る、つまり傍観者にしかなり得ない構造が潜んでいます。それは、善悪を超えたひとつの事実として、おそらく誰もが認めることのできる認識だと思います。

現代においてほとんど全ての人たちが「自分たちは自由」だと思っていると思います。しかし、その「自由な人たち」が何故この閉塞した社会を変えることが出来ないのか?そうした中で「ひょっとして自分たちは自由じゃないのか?」と考える人もあまりいないように思います。

>傍観者にしかなり得ない構造が潜んでいます。

本当に怖い事です。「自由」という価値観念は、もともと統合階級からの支配から逃れるための思想であったためそれ自体が最終解答であったかのような倒錯観念として人々に根付いており、そのことがそれから先の思考を停止させている。今回土山さんの投稿を拝見して改めてその構造がすごく理解できたように思います。

>否定視(=実現できないこと)を暗黙の前提にした感受性や思考方法が傍観者意識の正体であることを証明できるところに構造観念の切れ味の秘密があるように思います。

旧観念には私権の強制圧力、倒錯観念と様々な要素を孕んでおり「傍観者から当事者へ」「旧観念無用」のハードルの高さと重要性を改めて認識させて頂きました。
 
マー
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