一度学校制度から離れ、孤立した状況になってしまった私は、集団にいられる事のありがたさを実感する事となりました。
 そして小学校、中学校で、愛や自由、個人といった旧観念を教えられた部分に不必要と思う事もありますが、仲間と一緒に経験し、喜びを共有する事の楽しさを学べたのも学校だと思いました。クラスやクラブの皆と、行事や課題に取り組める場を与えてくれ、一体感を味わう事ができたという意味で貴重な場所であるという事は否定できません。そう思うようになれたのは高校を中退してからです。

 
 
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私の通っていた高校は、公立高校でありながら、私服で通う事ができ、染髪、ピアスといったものも大学と同様に問題とはなりませんでした。そこでのモット-は「自由ではあるが責任の伴う、自立した学生を育成する」というものでした。その環境において個性が伸ばせると思い入学しました。
 実際の授業風景は、規則が緩かったためか居眠りをしても、遅刻をしても暗黙の了解、テストの結果さえ良ければいい、その上先生が一人で延々と喋るといった感じで通信教育でもいいのでは?と思っていました。今思うと個人の成績が良ければ問題なく卒業できる大学と同じような雰囲気でした。
 初めの頃は今までの義務教育とは違っていてとても新鮮に感じていたのですが、時が経つにつれ何かものたりなさを感じるようになりました。問題がない事が問題になってしまっていたのです。一人一人に役割がなく、期待されるものもなく、みんなで取り組むという事もない学校生活は、まさに規則のない予備校といった感じでした。

 みんなで共認する事、一体感の持てない場は、学生にとっては無意味に思えました。「このまますんなり就職してよいのだろうか?」と不安になった私は高校を中退しました。学校へは毎日通っていましたが、登校の出来ない環境(不登校)を選んだのです。

 そんな私ですが、法律の勉強をしたかった為、大学の法学部に入学する目標があったにも関わらず、自分が現在フリーターであると認識した瞬間、とてつもない不安に陥ったのです。「高校、大学卒業資格のないフリーターはどの位いるのだろう?」「大学に落ちて、中卒で社会に出る事はできるの?」という疑問で頭が一杯でした。
 中退して、2週間が経過した頃に、中途退学を取り消させて欲しいと申し出ようかと思った程です。 その期間は、「世の中は学歴社会だ」(旧観念)と聞いて育ってきていた私の中から、旧観念を消す為のリハビリ期間、断食であったように思います。そして変わってしまった状況から出発しなければならない事を受け入れる事ができてからは、とても気持ちが楽になりました。

 今思うと高校を選ぶきっかけであった「個性を磨く事」それ自体が旧観念に支配されていた結果だったのです。

 1つの大きな集団から離れた時に感じた事は、学校制度の枠にはまってきた人は、社会の厳しい荒波から守れられているという事です。そして学校を卒業すれば将来も安心できるといった意識を植える事で学生に危機感を持たせなくしているという事です。安全な檻に閉じ込めるような、まさに動物園で長年飼育してきた動物を突然野生に戻すといった事をしているように感じました。

 旧観念を押し付けてくる学校や親達も、それが私たちを集団から孤立させ、思考を停止させるという事に気づいていないだけだと思います。この実情を私たちは反面教師として受けとめ、それが役に立たないという事に気づかせてくれたという意味では欠かせない存在であったと思います。

石井