福祉主義は、市場主義や個人主義の矛盾に対する代償観念です。市場主義や個人主義の根本は、私権第一で己以外は全て敵ですから、必然的に私権闘争の勝者と敗者を生み出し、貧富の格差や身分格差を生み出します。ところが、社会的な敗者となった「弱者」を放置しておいたのでは、社会的不満や不全が増大しますから、市場主義や個人主義を維持してゆくためには、何らかの観念や制度でその矛盾を補う必要があります。 にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ
>「誰かの役に立ちたい」「役に立つことで喜んで欲しい」という純粋な思い
は、もともと誰にでも備わっているものですから、誰もそのような本源的な思い自体を否定することはできません。困っている人や社会的「弱者」に対して、困っている人がいたら何とかしなきゃと思うのも当然です。ところが、みんなが私権を共認し、私権で 統合されている社会では、それを覆すのは不可能ですから、「弱者」を生み出した市場主義や個人主義などの原因を構造的に分析し、みんなで本源的な思いを実 現するよう追求されることはありません。そのようにして、弱者救済='福祉’という観念が、単なる善か悪かという価値論の次元で、「正しい」観念として絶 対化され、'主義’となってしまいます。

つまり、福祉主義というのは、市場主義や個人主義が生み出す矛盾を覆い隠し、それらの主義を正当化するという必要から登場した本源価値の代償観念にしかす ぎません。(もっと言えば、もともと自らが生み出した矛盾の代償にしかすぎないものを、その矛盾には蓋をしておいて、あたかも、自らが生み出した崇高な観 念として美化するような福祉礼賛主義は欺瞞観念と言っても過言ではないと思います。)

私権統 合が終焉し、実現可能性が開かれた現在、現実の人々の意識は、そのような美化された福祉主義や制度的に固定化された福祉制度に頼る以前に、純粋に「役に立 ちたい」、「助け合いたい」と考えるところにまできていると思います。すでに、福祉の現場にいる人達の中には、国家主導ではなく、みんなの草の根的な運動 で福祉を変えてゆこうと考える人が増えていますし、多くの福祉関係者が、福祉を代償観念で特別視することなく、「ごくごく普通に住み慣れた地域社会の中で 暮らしてゆく」ことを模索しています。代償観念が無用のものになった時、みんなが普通にもっている本源的な思いが実現されるのだと思います。

雪竹恭一