>初期のものは反権力であったのに対し第2のものは権力そのものであると言える。 

私権の強制圧力に抗する形の初期の民主化運動(→人権運動)。支配権力(統合階級)に歯向かっていった人権運動は、大衆から生まれた反権力運動のように思われますが、実体はイギリスの市民革命を見ても分かるように、反権力運動を起こしたのは大衆(みんな)ではなく、市場に縄張りを作り始めた「市民」という特殊(特権)階級です。最大の人権である『自由』とは、突き詰めれば自由市場で自由に私権闘争を行ないたいという権利です。その闘争は、決して大衆(みんな)共認発の闘争ではなかったと思います。みんなが巻き込まれていった闘争、という方が的確ではないでしょうか。否応もなく人々を従わせる絶対的な力=権力を巡る闘争、それが人権運動の持つ本質なのではないでしょうか。
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ
それを如実に示す証拠が、まさに第二の人権運動ではないかと思います。支配権力に対して単に反対するだけ、反のエネルギーを使った運動でしかなかったのなら、旧権力が衰弱すればいっしょにどんどん衰弱していくはずです。しかし、私権の強制圧力が衰弱していっているにも関わらず、むしろ『人権』は強制力をともなって権力化してきました。これは、『民主』『反権力』のカモフラージュが、私権の崩壊と共に取れてしまって、人権=権力という素顔が剥き出しになってきただけなのだと思います。

やはりこれまでの人権運動や民主化運動は、結局は人々の心を思い通りに動かす力を勝ち取る為の権力闘争(私権闘争)であった、と総括すべきではないかと思います。その意味では、で述べられているように

>『万人の共認』=『みんな共認』という視点自体が、権利や人権という旧い概念に取って替わる、役に立つ新しい概念なんだ<

と、私も思います。その共認域の拡大こそが今一番求められているのではないでしょうか。

吉国幹雄