65160 若者の不安に不可能視から可能視への転換の基盤を見る
65189 社会不全の表情?
65298 「アリエヘン!」を連発して始まる期待>

無表情についての一連の投稿を読んで、どうやら若者の無表情には「親の囲い込みからくる親和欠損」と「充足埋没では済ませられない社会不全の高まり」の二面が絡んでいるのだと理解できてきました。

親和欠損と社会不全、この一見真逆にある位相の不全が、どちらも”無表情→何を考えているか解らない”という現象に顕れているわけですが、どうもその無表情の表現も違うらしい。
親和欠損は>“あたりさわりない存在”(65224)>という”愛想笑い”とでも呼ぶ迎合した硬直の表情、一方、社会不全は>その表情は、原因である不全自体が漠然としているが故に非常に捉え所の無い感じがする。>(65189)という”不思議な表情”らしい。
ではこの二面は、何か関係性があるのだろうか?

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親の囲い込みと言っても、昔の父権のような強制的なものやベタベタした過保護のようなものとも今は異なり、幼児期のスキンシップ不足の親和欠損からくる存在不安を刻印された状態で、例えば、「あなたの好きなことやりたいことを自由にしていいのよ」という言葉で不安を増長させた上で「私はあなたの事を本気で考えているのよ。そしてあなたの事を本気で考えているのは私だけなのよ」と言って暗に「だから私の言う事を聞いたほうがいいわよとかだから私を大事にしなさい」を導くという具合の”自分観念(旧観念)の言葉による囲い込み”です。
そして、一方、社会不全は>●社会不全や統合不全は観念不全であり、答え(=構造観念)によってしか、解脱(解消)できない。(24982)>でも明らかにされているように旧観念の閉塞からくる観念不全です。

であれば、何か不思議な感じもありますが、親和欠損という自分発の不全も、みんな発の社会不全も”どちらも旧観念を同根”としています。

>つまり、他でもない発信階級が撒き散らす旧観念(=代償観念)こそ、この社会を全面閉塞させた真犯人なのである。>
(トップページ:旧観念無用)

若者の無表情の問題の視点は、『自分発の旧観念』VS『みんな発の新しい観念』との鬩ぎあい(=囲い込みと脱集団の綱引き)と見ることができると思いました。

そして、その脱出口は、
>露店で出会った無表情な若者も、いろいろ話していくと表情も緩み、精悍な感じに変り、話す言葉も(とても18歳とは思えない)しっかりした受け答えにビックリしたこともある。他の露店でも同様の事例を多く聞く>(65224)

社会不全タイプはもちろんのこと親和不安タイプに対しても、今のところ可能性は『人と答えが一体となった、なんでや露店』にしかないと、若者の無表情の視点からも見れそうです。


麻丘東出