> 保守回帰に流れるブナンな世間に風穴を開けられるか、ここがなんでやの試金石といっていいのではないだろうか。
 
 振り返ると、この10年、20年、「改革」や「変革」という言葉ほど、色褪せてしまった言葉はない。
 統合階級は、決まって「改革」、「変革」という言葉を口にするようになった。逆に、野党などは、改革の言葉に対して「生活を守れ」「権利を守れ」「憲法を守れ」「平和を守れ」と、守りの姿勢が目立つようになり、革新派の立場を放棄してしまった観がある。与野党のスローガンの逆転である。(おそらく、このことが、野党第一党であった社民党没落の原因だと思われる。自ら成立基盤を突き崩してしまったのだ。)

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では、与党の言う改革が実現し、何か変わったのかと言えば、そのような実感は人々にはないだろう。つまり、改革派を名乗った統合階級本人には、実は本当に変える意志はないのではないか?という疑いが残る。
 例えば、年金制度を変えるとする。本当に年金の債務超過をなんとかしようとすれば、現在の既得権者である年金受給(予定)者たちに既得権を放棄してもらう必要がある。それどころか、穴埋めのために今まで受け取った分まで返してもらなければ済まない可能性がある。しかし、改革派を自認する統合階級には、その改革はできない。自らの存在基盤は、無難志向に染まった既得権者の中にあり、それを放棄することはできないからだ。

 現在の改革派を名乗る統合階級の存在基盤は、人々の無難志向にあり、統合階級自身も無難志向の中にあるからこそ(変わってしまったら統合階級ではいられない)、あらゆる改革、変革の名のつくものは実現せず、人々は、改革、変革に期待することをやめてしまったのではないだろうか。

 しかし、本当に変えることを諦めてしまったら、社会は活力もなく、滅びていくしかない。だから、もし、今変えるのだとしたら、本当に変えるための「答え」が必要で、それが提示可能なのは露店であり、勉強店しかないのだ、ということを語る意味があるのだろうと思う。

阪本剛