今回の訪朝で小泉の支持率が上がったのは意外だった。実際に廻りで話をしても小泉の成果を評価している声は聞かれない。誰もが、小手先のパフォーマンスに過ぎないと感じている。

それにも係らず支持率は上がっている。そうならば、そんな今の支持率に何の意味があるのだろうか?

’70年までは、社会統合にたずさわる可能性がない普通の人にとって、支持率はせめてもの政治家に対する期待や評価の意思表示だった。しかし、現在では「まあ少しは頑張ったんじゃない」「多少はまし」程度の評価に過ぎず、もはや期待しているという積極的な意見ではないのだと思う。

テレビの視聴率も同様。大して見たいわけではないけど、することがないから何となくスイッチを入れているだけ。あれこれ考えても答えがないから、とりあえず頭を使う必要がないテレビを見ているだけ。それでも、スイッチを入れれば視聴率は上がる。

しかし、みんな不全を対象化できない政治家やマスコミは、そんな支持率や視聴率が評価のバロメーターだと思い込むしかないのだろう。そうであれば、小手先の政治改革や充足報道は繰り返され、ますますみんなの実感とのズレは広がっていく。

支持率や視聴率といった数字を追いかける姿に何か空しさ感じる。もはやそんな数字を気にするのは、当の政治家やマスコミだけではないのではないのだろうか。充足基調探索基調へ転換した今、普通の人にとっての評価軸は、答えを出せるかどうかの一点にすでに移っているのだと思う。
 
斎藤幸雄
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