> 反体制、反身分の共認支配が通用しなくなった今、もはやマスコミは不全捨象の充足報道で誤魔化し続けることでしか生き残ることが出来なくなったということか(暗い話は避けて明るい話でせめて気分だけでも紛らわそうとするしかないのだろう)。(72587

 今日のなんでや劇場のテーマは「学者やマスコミ発の旧観念が役に立たないのは、何で?」だった。

 古代宗教や近代思想など旧観念は、全て飢えと物的貧困の時代に生まれた。誰もが貧しさの中で苦しみ、「困っていた」から、旧観念も受け入れられたし、何らかの慰めを与えることができた。その意味で統合階級もなにがしかの存在意義があった。  

 しかし、みんなが「困っていた」貧困が消滅して以降、旧観念は輝きを失う。貧しさに困る必要のなくなった大衆は、古い思想を不要なものとして捨てた。

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 自分の飯のタネ、商売道具である旧観念の存在意義を失った統合階級は何をしたか?
 貧困の消滅以後もわずかに残った、(自分たちの商売道具=旧思想が歓迎される)限られた「一部の」「困っている」人々の不全や欠乏をこれ見よがしに取り上げ、それがあたかも社会全体の統合課題であるかのようにスリカエを始めた。そして「一部の」人々の権利だけが声高に主張されるようになった。

 「一部の」差別に困っている人々のために、社会全体に人権教育が強制させられるようになり、限りない支援金が引き出されていった。
 「一部の」女性と男性の格差のために、男女同権思想が支配観念になり、ついには女性と男性は違うものだと公に言うことが難しくなった。
 「一部の」貧しい人々のために、福祉観念が絶対化し、みんなが福祉や年金制度の赤字を背負うことになった。

 古い思想に残された需要が底をつき始めると、今度は、イラクなど外国の「困っている」人々、北朝鮮に家族を拉致された「困っている」人々、と次の需要が発掘されていった。どんな社会、時代でも、「一部の」「困っている」人々は探せばいくらでもいるのだから、このやり方はしばらくは上手くいくように見えた。

 その結果何が起こったのか?
 まず、統合階級自身から無数の自己矛盾、ほころびが出てきた。

 本気で福祉制度を実現する気などないのだから、当然、政治家も芸能人もジャーナリストも統合階級自身、年金をまともに払っていないことが明らかになる。
 本気で男女同権を実現する気などないのだから、当然、政治家自身がセクハラをし、エコノミストなど学者自身がのぞき見をして逮捕されても不思議ではない。
 本気で平和も平等も実現する気などないのだから、外国でジャーナリストやボランティアが捕まれば、彼ら自身が平和・平等の敵として最も否定し忌み嫌っていたはずの国家権力に頼るしかないことが明らかになる。
 旧観念は実現不可能視から生まれたのだから、いずれも当然と言えば当然の結末だった。

 何よりも問題なのは、大多数の不全も期待も置き去りになってしまったことだ。

 家庭も、企業も、学校もガタガタになってしまっている。若者からサラリーマンに至るまで、うつ病、自殺者が急増している。旧観念支配の結果、答えが出せないまま閉塞感はつのる一方だ。このような大多数の、文字通りのみんなの不全に応えることができないまま、その徴候が現れた70年代から、30年以上もの時が過ぎてしまった。

 ごく「一部の」人々による、ごく「一部の」人々のための政治――。
 旧観念支配が行き着いた先は、(皮肉なことに旧観念自体が否定していたはずの)特権階級による壮大な専制独裁の社会だった。

 もう、「実現しない『お題目』」とそれを唱える「実現させる気がない人々」が支配する社会はやめよう。そもそも、(極限時代の人類が教えてくれているように)人類は何か=可能性を「実現」するために生きているのだから。


阪本剛