先日の露店で出会ったお客さんは、専門学校に通って環境系の勉強をしている女の子でした。「環境問題を、何とかしたい!!」という思いは確かにあるんだけれど、「どうも授業の勉強に身が入らず、ヤル気が出ない・・・。最近、学校にも行っていない。こんな自分でいいのかなぁ、と不安にもなるし、やっぱり“何か実践的な運動”をするべきなのかなぁ・・・。でも、何となく今は“実践よりもまず、勉強がしたい”って思うし、にも関わらず学校の勉強は行き詰っちゃってるし・・・。こんな私はどうしたらいいんですか?」と悩んでいました。

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 その女の子のそんな悩みを聞いていて、大きな可能性を感じました。その子はちゃんと、自身の潜在思念の中にある可能性探索のアンテナにフタをしておらず、『環境問題だけを専門的に扱う勉強に実現可能性はない』し、またそうかと言って、『目先の実践的な運動論にも可能性はない』という事を、しっかりと掴んでいました。

 「目先の勉強=旧観念」にも、「目先の運動=旧運動」にも、「どちらにも収束できずにいる、真っ当な若者たちがいる」。目の前で元気のない顔をしている女の子が、かえって、とても頼もしく思えました。

 と同時に、この子を元気にしてあげたい!!という思いがこみ上げてきて、「みんなによる共認形成」という“統合課題”に向かっていく事こそが、環境問題のいちばんの突破口だし、あなた(もちろん僕ら・なんでやさんも)が本当に求めている事は、そんな“社会の共認統合”なんじゃないかなぁ?!という話をして、「そうそう~」という共認充足を分かち合う事ができました。

>社会的な問題意識の高い人々の中には、環境その他のサークルで活動している人も多い。しかし、どのサークルも参加者は少なく、ネットワーク化も進んでいない。従って、それらの活動が大きな運動に盛り上がってゆく感じがしない。何より、それらの活動の集積が社会を変えていくとは思えない。だから、普通の人は参加する気になれない。
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 つまるところ、僕らがいちばん深いところで強く感じているのは、「どこに向かったら良いのかが分からない」という収束不全。それはそのまま、「みんなみんな、つながっていたい(=集団・社会として、きちんとまとまって機能していく事で、色んな課題を突破していきたい)」という統合不全の問題に重なります。

 だとすれば、僕らがすべき事はすごく単純で、環境とか福祉とか市場経済とか、そういう狭くて旧い枠組み(=旧観念)をとっぱらって、その奥にある『潜在思念発の収束期待=統合期待』に、お互いに応え合っていけばいいだけ。具体的には、「みんな共認の場」と「新理論という答え」が一体となった、なんでやネットワーク(=新しい運動論)を拡大していけばいいだけ。

 そうしていく中から、徐々にみんなが共認し合える社会の統合軸が形成されていき、“みんなの共認形成”という課題の中に環境問題が包摂されていくのだと思います。

 「なんでやさんがあって、本当に良かった。」こういう声を、よく聞きます。改めて、環境・福祉etc.の相手の表層観念のフタを開いて、潜在思念発の期待に応えていくだけでいいんだ、と実感します。

ジャック・ダニエル