テーマは、
「プロによる観念支配こそ、時代閉塞の元凶」だった。
そこで聞いた印象深い言葉。

「我々は、無意識のうちに観念支配されている」

無意識に・・・恐ろしい!!
例えば、「個人主義」や「個性」。
露店などでもたまに「個人主義」について議論になることがある。

「個人主義ってダメなんですか?」
「今はまだ個人主義が実現されたとは言えない。」
「自分が幸せにならないと、他人を幸せにできない。」
「自分らしさを出さないと、社会で認められない。」etc…

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そもそも、こういう議論になるのは、
我々の頭の中に「個人主義」という観念が、
「無意識に」刷り込まれているから。

普通に生活していると、そのことに気付かない。気付けない。
支配されている自覚なんて、全くない。
それを当たり前だと思っている。

だから、『自我ではなく、共認こそ原点である』(2772)
という話をすると、何か違和感を覚えたり、
「そんなのおかしい!」「やっぱり「自分」は大事!」
などという反論が生じるのだろう。

しかし、事実は『自我ではなく、共認こそ原点である』(2772)。
それを受け入れられなくさせている元凶は、明らかに「観念支配」。

>「自分らしく~」「自分の~」という教えは、最初から対象を捨象させ、思考を自分の頭の中だけに閉塞させる。
観念が急速に発達する幼児期に、このように教え込まれれば、
対象を欠如した観念が発達して当然だと思う。
僕達の観念は発達段階から頭の中に閉塞させられているのだ。
(51185)

「人と違う意見を言いなさい」
「真似をしてはいけません」
「自分らしさを大切に」
「あなたの好きなように生きなさい」
そんな教育が、多くの子どもを苦しめ、
時代をどんどん閉塞させていっている。

「我々は、無意識のうちに観念支配されている」

このことに気付くだけで、様々な観念から解き放たれる。
観念について思い悩む必要も全くなくなり、
不毛な議論もしなくて済む。
そして、純粋に実現可能性へと向かうことができるのだ。
 
井上緑