個人主義の反対を辞書で調べると全体主義となる。両者の違いは個人の自由があるかないかいうことになるようだ。

個人主義:国家・社会の権威に対して個人の意義と価値を重視し、その権利と自由を尊重することを主張する立場や理論。
全体主義: 個人の権利や利益、社会集団の自律性や自由な活動を認めず、すべてのものを国家の統制下に置こうとする主義。独裁や専制政治などと同義に用いられる。(Yahoo大辞林から引用)

近代思想に立脚した市場社会では、個人の私権拡大が善であり、これを推進するには、個人主義以外は悪であるとして国民を洗脳する必要がある。全体主義とはそのような背景で定義付けられた観念と言うこともできる。

るいネットに立脚すれば、「共認主義」など実態に合った言葉を見つけることができるが、新たな言葉を持たない人にとっては、個人主義者でなければ「全体主義者」ということになってしまう。

一方を正当化し他方を否定するために、単純化された2つの価値によって判断を迫る方法は、ある意味暴力的である。しかし、この風潮は小泉内閣になってから強まっていると感じる。その象徴が、郵政選挙であった。「改革か否か」とは最初から中身などなかったのである。

かつて、政治評論家が、曖昧な政治家に白か黒かの判断を迫ると言うのは「すがすがしさ」を感じた時代もあったかもしれない。しかし、今TVで、例えば田原 総一郎が政治家に無理に白黒の回答を迫るのは、非常に違和感がある。「それは違うだろう!」と言いたくなる。おそらく多くの人が同様の感覚を抱いているだ ろう。

答えがないにも関わらず、物事を単純化し善悪の2つの価値に還元しようと言うやり方は何も生み出さない。
「分かりやすさ」とは「旧観念を駆使して、物事を単純化」することではなく、新概念によって「実感にあったスッキリした答え」を示すことである。

中身のない二者択一によって、国民の多くがまんまと騙されてしまったのではないだろうか?危険な時代である。

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