過保護空間を作り出したのは旧観念であると言っても過言ではないと思う。

>現実否定から出発し、現実から目を背らせた上で成立している古代宗教や近代思想は、初めから現実を変革できる筈もなく、現にそれら(例えば神の世界や自由・平等・博愛を具有した個人)が実現された例しがない。 実現論2_6_03

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ここで言う現実の否定とは、現実の共認圧力の否定に他ならない。古代宗教は、私権の共認や力の序列の強制共認といった現実の共認圧力を否定してできたものである(20054)。近代思想(個人主義や権利概念)は、個人にとって都合の悪い共認圧力をとことん排除する。

現実の圧力を否定(排除)する旧観念は、実際に過保護空間を作り出してきた。例えば「福祉」は過保護空間を作り出すことそのものである。あるいは旧観念の発信元である学者の世界は、何の成果圧力も働かない過保護空間そのものである。

'70年生存圧力が衰弱してしまうと、何の圧力も働かなくなり社会の閉塞と過保護化が進む一方。同類圧力にパラダイム転換し、共認圧力を活力源とする可能性が開かれたにもかかわらず(31505)。それは、この社会を支配してきた旧観念が現実の共認圧力を否定する過保護思想だったからではないだろうか。

冨田彰男