社会人文系の学者の話と法学系の学者の話はどちらのほうが難解だろうか。おそらくおんなじぐらいなのだが、どこかやましいことを隠しているような表情をしている。

その理由はおそらく二つある。一つは彼らの専門領域が顕微鏡を使わなくてもできる現実であり、本来は誰の目にも明らかだからである。それを隠すためには専門用語を隠語として扱うしかなく、彼らが売っているのは隠語の解説書(出版、教育、研究費)である。

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二つ目は、彼らが扱っている現実が、個人と言っても生きた人ではなく社会の要素としての個人であり心を失わせ、社会と言っても共同体ではなく入れ物としての集団であり頭(理由)を失わせている。そしてそれらを設計したのが自分たちなのだから設計ミスは隠さなければならないのだ。

同じような匂いは地震や環境破壊が起こるたびに後付で原因を解説する理化学系の学者からもするが、自分たちの仮説限界を公表するべきである。でないと、対象の現実性だけが人文系よりマシなだけで、偽者と分かれば同罪である。

政治家は完全な学者ではないが、何が分からないのか出来ないのかを言わないと共認しようにもできない。まさか党関係者だけで巨大社会の全てを知っているわけではあるまい。

最後にマスコミは国境を超えるとかかっこいいことを言うが売れれば機密でも恥でもなんでもたれ流し一日で消費する観念の大量生産過剰消費であり、学校新聞でもそれをしないことを平気でやる。市場のさらにかやのそとの、一般のアンケート調査からも「関係者」として除外される存在である。
 
佐藤英幸