>もちろん、何がしかの繋がり充足や癒し充足や発散充足を得ているが、それら全ては与えられたものでしかない。(6324)

そう言えば、小学生の頃から友達との会話には、昨日見たテレビの事とかが、登場する事が結構多かった様に思う。

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見てないと仲間に入れ無かったりするから、みんなが見るテレビはちゃんと見てたような・・

しかし、所詮はテレビはテレビ・・・ ストーリーはテレビまかせで、話に発展性がある訳がない。

昔なら、テレビなんて物は無いから、仲間との充足は、遊び課題の中からどうする?って事で、みんなの顔を見合わせながら、自分の頭を使って考えてただろう。

そこから考えると、テレビの中身が友達との共通の話題になった時点で、そもそも仲間との遊び経験などを通じて、本来できるべき、思考訓練の過程そのものを奪われてしまった、といえるのではないだろうか。

思考が硬直的だったり、仲間との会話のペースについて来れなかったり、理解の仕方が常に少しずれたり、直ぐに切れたり・・・、そういう人が増えたように思うのだが、

テレビは解脱箱どころか、仲間との共認形成の訓練課程、思考訓練の場さえも奪っていったのではないだろうか。